光の
天蓋

出会い

 孤児院出の魔術師と変な注目を浴びる一人の少年。焦げ茶の髪は襟足を少し過ぎたぐらい。魔術師にしては短い方だった。瞳は緑。片方には色眼鏡を掛けていた。眼が悪いのだろうと周りはそれについては触れないでいた。きつい眼差しは他者を寄せ付けず、滅多に口を開こうとしない様子に、周囲から孤立していた。
「クロロ。アキ将軍がお呼びだ」
「判った」
 言葉少なに返事をする声は不機嫌そうに低い。しかしその声音がいつもの状態である、とこの場にいる全員が知っていた。進行方向とは真逆にある将校の寝泊りする建物へと行く為に振り返る。伝えに来た兵士はそのままクロロが就くはずだった砦の門の上へと昇っていった。
 その場所は敵襲があれば狙われやすい位置でもある為、魔術師と兵士の両方が置かれていた。しかしクロロが離れることにより、魔術師はいなくなる。矢が飛んで来ることに怯えながら警戒しなくてはならない。ただ敵を見つけるだけでも、精神的に消耗が激しいのに、自分の身を護ってくれるものが無いと言う状態では神経が擦り切れる。
 歩き始めていたクロロは振り返り、小さく呟く。
『いと優しき風は最強の盾と成りその身を護る最大の防御。気高き光はその身を隠す秘めたる力』
 警護に当たる兵士全てに魔術を施す。それに気づいた者はいない。風の精霊は嬉しそうに兵士に張り付いていた。
 これなら大丈夫、と小さく頷きクロロは呼び出した将軍の許へと歩き始める。石段を登り、廊下を真っ直ぐに歩く。その突当たりが将軍の部屋だった。
防犯面で言えば最悪の部屋だ。侵入され易いと主だった兵士たちが将軍に文句を言ったらしいが、将軍はその苦情を全て無視した。理由は簡単。
「私も魔術師の端くれ。防御の魔術でも掛ける事はできる」
 魔術を張り巡らし、侵入者があれば即座に反応できるようにする、と説得したのだ。しかしそうすると、将軍に負担が掛かってくる。そこで考えたのが、他の魔術師にも手伝わせる、というものだった。それに難色を示したのは魔術師たち。能力に偏りがあるのだ。足を引っ張る輩が出ると訴えた。
 そこは能力の有る者が補え、と話にもならなかったのだが。扉の両脇に控える兵士に視線を向ける。兵士は見返し、顎を微かに引いた。それは了承の合図。クロロは扉を叩き、開けた。その瞬間、身体に電気が走ったが、気にしないまま中へと足を踏み出した。
「クロロ。よく来たな」
 快活に笑うその姿は将軍ではなく、弟を目の前にした兄のようだった。現に、クロロと将軍は同じ魔術師に師事していた兄弟弟子にあたる。ほんの少しの期間しか共にしていないが、お互いの能力はよく理解していた。ここに呼び寄せたのも彼であったし、こんな部屋に居座るのも、何かあればクロロがいるから、という理由の為だ。
「お呼びと聞きましたが」
 言外に何のようだ、と告げる。将軍であるアキとは違い、クロロは一般兵と同じ魔術師だ。雑用は山のようにある。しかし将軍はそんな事は気にせず、クロロの他人行儀な言葉に顔を顰める。
「なんだ。クロロその言い方は。私のことはお兄様と呼べと言って来ただろう?」
「寝言は寝てから言ってください」
「………そんなに冷たいから恋人も出来ないんだぞ」
「いらんお世話だ。こんな事で呼び出したのかあんたは」
 くるりと足を変えて扉に向かうクロロを将軍は必死で引き止めた。椅子を倒す勢いで立ち上がり、クロロを留めようと前に回りこむ。それをクロロは睥睨する。立場が下であろうが、クロロは不快に思えば感情を露にする。しかしそれは限られたごく一部に対してである。将軍は幸か不幸か、その一部に入っていた。クロロの不機嫌を表すように将軍の部屋にある小物がかたかたと震える。そちらを見れば不機嫌な表情の精霊たちが動き回っていた。
「相変わらず、たくさん侍らしてるな」
「その言い方は誤解を生むからやめろ」
 クロロは顔を歪めて自分の周りを見る。そこにはあらゆる精霊が飛び跳ねていた。クロロの髪を引っ張り、潜り込み、身体に纏わり付く。遊んでとその存在自体が言い募る。それをやんわりと払いのける。気分を害した精霊は手をつけられないから、なるべく機嫌は取っておきたい。しかしあまりにも多くの精霊にしがみ付かれれば邪魔でしかないのだ。
 しかし二人には見えているその精霊たちも普段の人間には見えてはいない。精霊の力を借りる魔術師でさえ、集中しなければ見ることは叶わないのだ。それを普段から見ることの出来る二人は尋常ではない魔術師としての能力が備わっているということだ。
「それで、一体何の用で呼んだんだ?」
 その言葉に将軍は表情を改める。それを見たクロロもまた、真剣に見つめ返した。
「その事なんだが、クロロ、銀の悪魔を知っているか?」
「知ってるも何も、この砦の全員が知ってるだろ」
 銀の悪魔。それは敵国の将軍に冠せられた二つ名。悪魔のような強さで敵を屠ると言われている。敵国でもあまり見かけることの無い銀髪であるからそう言われているのだと、人づてに聞いていた。
「それが?」
「それが停戦の会談を向こうから提案されてな」
「………停戦も何も。あっちから吹っかけて来た喧嘩だろうが」
「そうなんだが。まあ、戦争が続くぐらいならどうでも良いだろう?」
 その言葉を否定することは出来ないのでクロロは渋々頷く。それを見た将軍はクロロに近付く。これはクロロが頷かなければ実行しようが無いことなのだ。
「そこでだ。クロロ、君には明日、私と一緒に会談に参加して欲しいんだ」
 さらりと言うその言葉にクロロの柳眉は微かに攣り上がる。何かを隠し、全てをクロロに伝えてはいないその態度に、少しの不信が湧き上がる。それを眼差しで問えば、将軍は首を竦めるだけで答えようとはしない。
 それに苛立ちながら、クロロは首肯した。一兵士としての己の立場を考えれば、そうするしか方法は無い。ここで力を振るう代わりに、クロロは国から莫大な金を貰っていた。その代わりに、ここでの仕事は気に入らなくても従う、と成約させられたのだ。
とてつもなく不愉快だったが、クロロにはそうしなくてはいけない理由がある。それを盾に取られたのだ。だから今回のこのなんとなく嫌な仕事もクロロは断る術を持ち合わせてはいなかった。
「なんか怪しいけど、判ったよ」
 溜め息混じりにそう答え、クロロは扉に足を向ける。それを今度は引き止める事無く将軍は見守る。クロロが出て行くその一瞬、将軍はクロロに呟いた。
「明日、何が起ころうと、お前は私の傍に居ろ」
 え、と振り返ったクロロが見たのは悲しげに微笑む将軍。それは一瞬の事で、直ぐに扉によって視界は邪魔された。嫌な予感は先ほどよりも膨れ上がっていた。
 今日は早く寝ろ、と言われクロロは素直に部屋に帰った。暗闇に目を凝らす。そこには闇の精霊と風、水の精霊。戯れる精霊たちは警戒する様子も無く、クロロに遊んでもらおうと話しかける。きゃらきゃらと話しかける精霊たちを軽く払い、クロロは毛布を被った。
 しかし眠ることは出来なかった。突然の高い金属音が頭を駆け巡る。それは侵入者が現れた事を指していた。クロロは毛布を剥ぎ取り、部屋を出る。走りながら周囲に目を凝らす。侵入者の目的はわかっていたが、一人だとは限らず、進入経路までは判らないからだ。
 走った先には階段。それを昇り、木製の上扉を跳ね上げる。屋上に上がりきり、勢いを殺す事無く、迷わず飛び降りた。
『たおやかなる風、わが身は羽の如し』
 頭に描くのは空を飛ぶ自分。そして風の精霊たちは喜々としてその望みを叶える。透明の翼をはためかせ、一直線にその場所へと向かう。その場には将軍の気配ともう一つの気配が感じられた。窓の鍵は開いていないと予想し、クロロは闇の精霊に乞う。
『闇より出でしその者に鍵は要らず』
 窓の鍵は外れ、内側へと勢いよく開く。その窓からクロロはその身を滑り込ませ、音も無く床へ足を付けた。その様子に中にいた二人は呆気に取られた表情でクロロを見つめる。
 先に立ち直ったのは、クロロの奇行に慣れていた兄弟子。張り詰めていた息を吐き出し、苦笑する。ゆっくりと立ち上がるクロロの頭に手を載せぐしゃぐしゃと髪をかき回す。
「ずいぶんと派手な登場だな」
「これぐらい普通だ」
 その手を払いのけながらクロロは目前の黒ずくめに鋭い視線を向けた。それに相手は怯む事無く短剣を突き出す。ちらりと隣を見る。将軍は肩をすくめて答える。短剣を構えていた相手は床を蹴る。将軍は剣を構え、クロロは黒い鉄壁の盾を思い描く。
『深淵におわす闇の従者、その身を盾とし最強の鉄壁となす』
 クロロの呟きが終わった瞬間、相手の短剣は何かに阻まれる。その出来の良さに将軍は不敵な笑みを浮かべた。将軍の眼に映るのは漆黒の巨大な盾。必要も無いのに美しい装飾を施しているそれは、一つの芸術品を思わせた。
 相手へと反撃する為にクロロは新たな武器を脳裏に描く。それを止めるように将軍はクロロの腕を取る。それに反応しクロロは将軍を横目で窺う。
「殺すな、傷つけるな、捕らえるな」
「っはぁ!?」
 なんだその条件は、とクロロは将軍の胸倉を掴む。それに対して将軍はクロロを醒めた目で見てくる。なんなんだあんたの思考回路は、とクロロが叫ぼうとした瞬間。
 飛んできた黒い物体にクロロが気づいたときには遅かった。ぎらりと光る物を視界に入れた途端、クロロは何も考えずに魔力を放ってしまった。喜々として飛び交う風の精霊たちにクロロは瞬間、色を失くした。
「き、切り刻むの禁止――――!!」
 焦りのあまり精霊を従わせる呪文ではなく、小さいころからやってきた精霊を友として見る時の言霊を放っていた。それだけで精霊に対して抑止力は働くが、他人には見せるなと強く言い聞かせられてきたものでもある。
 精霊たちはクロロの叫びに不満げにしながらも、黒ずくめの身体は切り刻むことは無かった。しかし遊びたい精霊たちは、その黒い外套を切り刻んでいた。
 月明かりに晒されたのは、月光のような髪。クロロは息をつめる。将軍は正体が解っていた様で軽い溜め息を吐き出すだけだった。
「やはり、君か」
「将軍、知ってて態と中に入れただろ」
 それには将軍は答えない。ただ不敵に微笑むだけ。その顔は肯定を示していた。ちらりと視界に入れれば、相手はぼろぼろになった外套をつまんで眺めている。視線に気づいた相手は顔をクロロに向けた。
 銀髪で縁取る顔は均整の取れた美しいものだった。瞼の端のほうにうっすらと見える刀傷でさえ彼の美しさを損なうことは無かった。銀色の瞼に縁取られた瞳はどこまでも澄んだ青色。それは噂でしか知らなかった存在。銀の悪魔といわれる存在だった。
「……あれ、明日会談を開くはずの相手、だろ」
「そうだな」
「……アキ。こうなるって判ってたな?」
「まあな」
 こいつを今すぐ殺してやりたい、そうクロロは心の底から思う。
「俺は明日、会談を開く予定は無い」
 銀の悪魔ははっきりと言い切る。それに瞠目したのはクロロのみ。将軍はそれさえも予想していた。それに気分を害したのは相手の方。整った柳眉を吊り上げ、将軍を睨み付けた。相手のその態度に将軍の笑みは深まる。
「で、一人で私の暗殺、か?」
 芸が無い、と言いながらも将軍は楽しそうに笑うばかり。それに焦れた相手は剣を突き出した。怒りの表情は消え去り、冷徹な表情で二人を睥睨する。それにクロロは反応し、将軍の前にその身を突き出す。
その手には黒い棒のような物が握られていた。それを構えながら、クロロは脳裏には違うことを思い描く。相手の頭上に雷を降らせ、身体に纏わり付かせた上で、身体の自由を奪う。
じりじりと相手が間合を詰める。それを良しとしないのはクロロのほうだ。風を操り、薄い風の刃を作り出す。それを相手の周りに散らせば、間合は詰められなくなった。左右に警戒し、クロロにも警戒は怠らない。敵として凄い人物、とクロロは素直にそう思った。
「穏便に事を運びたいので、今日のところは帰って頂けますか」
 クロロは自分から帰ってもらう方法を選ぶ。普段どおりの物腰柔らかな言い方で。それに眉を顰めたのは相手。ぎらりと睨みつけてくるその表情でさえ絵画のように美しい。
「ふざけるな!」
 たん、と床を蹴る音と共に、視界一杯に映る相手の顔に、クロロは手の中の黒い棒を振り上げた。下から剣を受け止めたクロロは顔を顰める。肉体労働は不向き、と呟きながら相手の剣をいなす。それを予測していた相手はそのままの体制で突きを繰り出してきた。
 早くお帰り願いたいクロロは溜め息混じりに、手の中の黒い物体を相手に突き出した。それを避けようといた瞬間。それは爆ぜた。
「!何っ!」
黒い影が何本も飛び出し、彼の周囲に円を描くように囲ってくる。それから避けようと飛び退くが、影は追ってきて身体に纏わり付いた。それは円形を保ったまま、影で覆いつくし、ついには真っ黒の球体ができた。
「お前も荒技だな……」
「これがてっとり早いんだ」
 球体に手を触れクロロは将軍を見つめる。それの意味を汲み取り、お座なりに返事をした。
「適当に頼む。希望を言えばあちらの砦近くにしてやってくれ」
「判った」
 頷き、クロロは球体と共にその空間から音も無く消えた。それを見つめて将軍は軽く息を吐き出した。無自覚な当代最強の魔術師の無事の帰還を願って。
「何なんだ!一体!」
 球体を弾いたその後、クロロに詰め寄った相手は戸惑った声を上げた。それにクロロは答える気も無く、彼の後ろを目線で促した。振り返ったその先には、彼が一刻ほど前に抜け出してきた砦が見えた。そのいきなりの場所移動に相手は驚愕に言葉を忘れた。空を見上げても、将軍の部屋にいた時間とさして変わっていない事を理解し、得体の知れない物を見る眼でクロロに視線を戻した。
 クロロにとっては馴染みある視線に堪えた様子も見せず口を開いた。
「これだけは確認しておきたいんですけど」
「…………何だ」
「貴方はこの馬鹿げた戦争を続けたいんですか?」
 それは痛いところを突かれた質問だった。痛みを堪えるように小さく呻く。それを見ていたクロロは言葉を重ねる。
「自分の国が優位でないと終わらせれない?」
「!」
 息が止まる心地だった。負けている側の人間には、そういう考えを持つ上が居た。しかし全ての人間はそうではない。戦争はどちらも疲弊させる。民から無理な搾取もしてしまう。その上負けてしまえば、王家の権威が失墜するのが眼に見えていた。
 その葛藤を全て見つめていたクロロは盛大に溜め息を吐いた。それに彼は顔を上げる。
「わかった。アキに無理な事は約束させないように、て念を押して言っておくよ」
「……何故……」
「何故って、私は戦争の被害者の立場だから。」
 ふ、と息を吐き出すように笑い、クロロは相手を見つめる。
「国が疲弊すれば、苦しいのは民草だ。」
 十数年前は彼らが勝利して終わっていた。負けた国がどうなるか、など知りもしなかった。だからこそもう一度戦争を嗾ける事も出来た。
それは彼らの驕りが招いた負けでもあるのだ。
「……お前は変わっているな」
「よく言われるよ」
 肩の力が抜けたように笑う彼にクロロは安心した。彼は戦争を続けたいわけではないと理解できたから。
「俺はウラルと言う。お前は?」
「………クロロ」
 くろろ、と口の中で転がし、ウラルは薄く笑った。女性が全員見惚れ、ふらつく様な微笑みだった。それを正面から受け止めたクロロは表情が凍る。それにも気づかず、ウラルは砦へと去っていった。