01.サイアと暴君と日常

 帝国の王城の一室で繰り広げられる会話はいつもの事。誰も助けてはくれなかった。というよりも、皆その一室を避けて通っている。
「サイア、喉が渇いた」
「……私は侍女じゃないわよ」
「煩い。」
 その姿に恐怖を感じ、渋々椅子から立ち上がり、扉に向かう。その後ろには苛立たしげに手を開いたり閉じたりする、すこぶる目の保養になる美形の青年。名前をアルディアという。地位としていえばこの王城でそこそこ、と認識されているだろう。継承権一位を持っている皇子。殴られることを恐れ、侍女のように厨房へ足を伸ばす少女の名をサイアリーズと言う。彼の従姉妹に当たる彼女は当然貴族。その中でも王位継承権を継ぐ事の出来る位置にいた。
そんな大貴族の姫君が侍女も使わずに厨房まで赴く。普通ならば考えられない事態である。しかし彼女も彼も周囲の人間でさえそれを不思議には思わないのである。
 何故ならば、彼女が彼の婚約者も同然で、彼女と二人きりになりたい彼は侍女たちを遠ざけ、心優しい彼女は侍女の手を煩わせたくないのと同時に自ら彼にお茶やお菓子を作ってあげたいと健気な姿を見せているからである。
「何なのかしらこの設定」
 うんざりしながら、しかし人の眼や耳が気になるので大それたことは言わない。この有り得ない設定に自分も一役買っていると思えばそれらしく振舞わなければならない。
 しかし色々と有り得ないのだ。まず彼に恋する少女たちに見せてやりたい。彼女に顎で命令する姿は只の暴君。命令するだけならまだしも、やれ茶が不味いだの、この味の気分じゃないだの、やっぱり要らないからお前が飲め、だのその秀麗な顔に似合わず性格は一級品に性質が悪い。
 しかも女が寄ってくるのがうざいというだけの理由で婚約者的な位置に居座らされている。その近寄りたい少女たちからの念、恐ろしいものがある。それも全て、彼女の身に降りかかっている。嫌味、嫌がらせ、はぶられるなんてものは日常茶飯事。挙句に両親には生ぬるい笑顔でこの婚約者的なことには口を挟まないでいるから、恋人もお見合いも無い為に、婚期も逃しかけている。
これがもう一人の従姉妹であるシュメルならば貴族の子女たちも文句は無いのだろう。なんせとてつもない美女の上に性格も良くて、頭も良い、まさに才媛である。かたやこちらは公爵家の娘である、というだけで大した取柄は持っていない。顔も可も無く不可も無く。頭は、まあ普通、と言ったところか。一つ特技のようなものも有るが、けっして言いふらせるような特技ではない。
最終的にはどこかの国か帝国内の釣り合う貴族の子女と結婚するのだ。それまでの虫除けに、勘違いを起こすことも無い、従姉妹で都合の良い自分を選んだのだろう。この役目も長くてあと三、四年だ。お互いに十八歳。そろそろ本気で結婚を迫られる頃のはずだ。
彼が奥さんを決めてくれれば、やっと自分も結婚相手を見繕うことが出来る。だが、年齢的に無理が来てしまうのだろうか。そこだけが不安だった。
考えながらも足は動き、厨房に来ていた。勝って知ったるで沸かした湯だけを頼み、後は自分で用意する。今日は可愛らしいものの気分ではなかったので、無地のティーカップを選ぶ、茶葉はオルディナ産の酸味のあるものを選ぶ。そしてなんだか喉の調子がおかしい様だったので、蜂蜜を用意した。その間にもお湯は準備され、茶菓子も出してくれていた。
それに笑顔で礼を言ってから厨房を後にする。侍女たちは重いから近くまで運んでくれると申し出てくれたが、彼が悪態をついていたりしたら恐ろしいので、丁重にお断りをする。その言葉に何を勘違いしたのか、侍女たちは頬を染め、献身的でお優しい、などと囁きあっている。
献身的でも、お優しくもないんだけど、と心の中で呟く。彼の言うことを聞かねば鉄拳制裁。周りに恋人同士という事を強調しなければ爽やかな黒笑顔で、暴言を吐かれる。恐ろしくて言うことを聞いてしまう自分がいけないのだろうが、そこはなんと言いますか、惚れた弱み、みたいな。
そこまで思考してかっと全身が熱くなった。顔は明らかに赤くなっているだろう。ぶんぶんと頭を振り、熱を下げようとするが、上手くいかない。
そう、好きなのだ。仕方が無い。あんな性格でも、暴君でも、初めて見た時からあのきらきらした笑顔にときめいてしまったのだから。顔は何を隠そう思いっきり自分好み。
初めての出会いは忘れもしない五歳の時。両親に連れられてやってきた王城の皇帝夫妻に会ったときだ。少女も顔負けなほどに、線の細い、華奢な男の子が、夫妻の後ろに隠れながら、おずおずと挨拶してくれたのだ。その時は可愛かったな、と過去を羨ましく思う。
今ではこの暴君だ。両手が塞がった状態でいかに優雅に扉を開けるか。それに悩んでいたら、音も無く扉が開いた。扉を開く事のできる人間は一人しか居ない。少しばかり青ざめながら、視線だけ上を見るとそこには予想通りの人が、予想外の優しげな笑顔を張り付かせて覗いていた。
その笑顔にびくりと肩が揺れる。その反応がお気に召さなかったのか、眉間に微かに皺が寄る。その笑顔が少し恐ろしい物に変わった。
ひい、と心の中で悲鳴をあげる。決して声には出さない。声に出したが最後、殺される。
「お、お茶をお持ちしましたぁ」
 へらりと笑えば、はん、と鼻で笑われた。カチンと来るが、そのまま扉を大きく開いてくれる。それにお礼を言って部屋に入る。歩いてきた間に沸かしたお湯は丁度いい温度になっていて、今を逃せば美味しいお茶は入れられなくなる。目の前で不機嫌に踏ん反り返っている彼には目もくれない。様にしている。
 手早くお茶の準備を整え、蜂蜜は入れ物のまま出すことにした。お茶菓子も蜂蜜を入れることを考えて甘みの少ないものを用意している。完璧である。
「アル、出来たわよ」
「……遅い」
「はいはい、すみませんでした。冷めるから早く飲んで」
 その言葉も気に障ったのか、ぎらりと睨んでくる。それもいつものこと。今更怖がるわけではない。実際はすこぶる怖いが。ソーサーを彼の前に置けば、凶悪な顔をしながら飲みだす。それに慌てて、蜂蜜を手渡す。それに胡乱気な顔付きで蜂蜜とこちらを交互に見つめる。
「……何だよ」
「え?喉、痛いでしょ?」
 だからそれ入れて飲んでよ。そう言えば奇妙な顔をされた。
アルディアの心の声は聞こえることは無かった。
『……何でサイアには解るかな』
 その言葉を思い浮かべるアルディアはなかなか見せない穏やかな表情をしていた。残念ながらサイアリーズはその顔を見ることは出来なかったのだが。