大切な日

フェンリルはふとあることに思い至る。直ぐ後ろ、自分を抱え込む人外の美貌の青年の歳を知らない、ということ。
少し後ろに首を向ければ、自分は自分で好きなことをしていた青年は、フェンリルに視線を合わせる。
「どうした?フェン」
フェンリルの腹部に宛てられた両腕に力が篭る。フェンリルが離れて欲しいと訴えると考えての行動。
それを気にせず、フェンリルは青年に疑問を述べた。
「クラウスっていくつ?」
その質問は青年のお気に召さなかったようで、眉間に皺を寄せる。秀麗な顔に皺が固定されては、とフェンリルはぐりぐりと眉間に指をあて、揉みほぐそうとする。
その指を手ごと捕まえ、クラウスはその指先に唇を寄せる。それに動揺したのはフェンリル。
この青年はどうも自分を押さえようとしていないらしい。クラウス自身の気持ちをフェンリルに告げてから、こちらが狼狽える程にスキンシップを好む。
フェンリルが誰かに取られてしまうと思っているのは、何となく知っていた。しかしフェンリルにしてみればそれは杞憂でしかない。好き好んで化け物とそういう関係にはなりたがらない。
「クラウス。誤魔化さない」
「何だ。バレていたか」
「誰でも分かるよ」
フェンリルの言葉にクラウスは更に笑みを深くする。
「歳なぞ我らには意味をなさない」
「つまり?」
「フェンとは百年単位で歳が離れているということだ」
「クラウス、若年寄って思ってたけど、本当に年寄りだったのか」
しみじみと言うフェンリルにクラウスは口許を歪めた。
「誰がだ。フェン、その身体に教え込んでやろうか?我が年寄りではない、と」
艶を多分に含んだ言葉にフェンリルはしまった、と困惑する。からかって言った言葉がクラウスの矜持を傷付けたと知ったときには遅かった。
「お前が泣いて赦しを乞うまで身体に刻み付けてやろう」
明らかに欲情した瞳でもって、フェンリルに身体に自身の体重をかけていく。
クラウスの重さに耐えきれずフェンリルは床に肘を付く。それを待っていたかのように、クラウスはフェンリルにのし掛かり、その手を怪しく動かし始めた。
「クラウス!」
手を掴み、なんとかクラウスを止めようとする。そんなフェンリルにクラウスは内心で笑う。何が何でも止めさせたいなら、魔術でも誓約でも使えば良いのだ。それをしようとしないフェンリルは甘い。幾らでも付け込まれる要因を持って、危機感も薄い彼女にしっかりと思い知らせなくてはならない。
周囲に群がる男たちがどういう意図をもってフェンリルに近付いているのか、を。
「一応は聞いてやるが、なぜそんなことを聞こうと思った?」
「ちょ、この手を退けろってば!」
焦り、クラウスの手を止まらせようとするフェンリルにはクラウスの問いに答える余裕は無かった。仕方なくクラウスは己の手でフェンリルを抱き締めることにした。その体勢にも多いに不満を見せるが、クラウスはフェンリルに答えるように促す。
「その、クラウスの大切な日はきちんと祝っておきたいというか……」
「ふうん」
「クラウス、あの、何か、不満げだけど?」
「ふん。ならば、存分に祝うがいい。我の大切な日はフェン、お前と出会ったあの日、唯一つだ」
その言葉はあまりにも意外だった。そんなのが大切な日なのか。呆然とするフェンリルの隙を突き、クラウスは顔を近づけた。
ちゅ、という軽いリップ音と共に味わったのはほんのり冷たい、しかし柔らかい唇。一瞬何が起こったか理解できなかったフェンリルは、じわじわと事態を理解した。
「!!!」
ばっ、と 掌で口を覆い顔中を真っ赤にした。その様子に満足したクラウスは耳許でそっと囁いた。
「次の時はフェンからしてくれ。我と祝うと言うのならば、な」
にんまりと笑ったクラウスの顔付きは一生忘れることが出来ない、とフェンリルは思った。