恋する気持ちをもう一度

リュシアンにべったりと引っ付こうとしたシエルを王都に帰らせたのは、リュシアン自身。仕事はどうしたのかと聞けば、悪びれもせずにあっさりと言ってのけた。
「部下に任せて来た」
言外に優秀な部下を持った私は運が良いと言ったが、そうではないことはリュシアンがよくわかっている。じとりろ半眼で睨めば、シエルは優しく笑いかける。
「上司の幸せは部下の幸せだろう?」
「根本的に間違っています」
仕事を部下に押し付ける上司など居なくなってしまえと愚痴っていたのを偶然聞いたことがあった。聞かなかった振りをしたが、気になったのでユグラルドに聞いたのだ。その結果、信じられない言葉を聞かされる嵌めになった。
「シエルってリュークの前では真面目ぶってるけど、結構部下に仕事を押し付けてるよ」
その言葉をあの時には信じなかったが、今では信じられる。ユグラルドの言葉は真実だった、と。
「シエル様、お仕事は何よりも大事なものです」
「リュシアンより大事なものなど存在しない」
「します!」
こんな人だとは思わなかった。予定外の誤算だった。
蕩けるような笑顔をリュシアンに向けるのに、リュシアンには信じられないくらい優しく、甘いのに、他人には氷のように冷たく、扱いも酷い。
「シエル様ってそんな人でしたか?」
「俺はいつでもこうだ。俺の中での唯一の例外がリュシアンだけであって、誰に対しても優しいリュシアンがおかしいんだ」
「お、おかしくなどありません。しかも私は優しくなどないです」
「リュシアンは優しいよ。その優しさを向けてくれるのは俺だけで良いのに、といつも思わされるぐらいに、な」
不穏な空気になったことにリュシアンは気づくが、何が原因かは判らない。リュシアンの方へ伸ばされたシエルの手をリュシアンは目で追う。どこに向かうのか、と見ていたらそれはリュシアンのすべらかな頬へと到達する。ゆっくりと愛おしげに撫でるそれにリュシアンはどう反応したものか、と悩む。自らの手で払うことは物理的に無理。言葉で退けようものなら、きっと酷い言葉を投げてしまう。それは避けたい。
シエルへの恋心がどうなったのかは判らないが、シエルに対して優しくしたい気持ちは残っている。
「シエル様、今お帰りにならないと職を失いますよ」
それはリュシアンの確信。きっとあの叔父のことだ、何かシエルに対して無理難題を出すことは想像に堅くない。
「今俺がリュシアンの傍を離れたなら、俺のことを忘れるつもりだろう?」
「…………」
否定出来ないところが痛い。多分そうだろうことは考えられる。シエルの気紛れとして片付けるだろう。
シエルはそれを解っているからこそ、この場を離れられないのだ。
「シエル様、きちんとお待ちします」
「リュシアン?」
「ちゃんと解っています」
 微かに微笑めば、シエルは苦りきった顔をする。決して心からの笑顔を見せる事は無くなってしまった。それは自分のせい。仕方がない。そう解っていても、悲しくなる。
「もう一度」
「シエル様?」
「もう一度俺と話をして」
「……はい」
「また、俺を好きになってくれないか」
 彼に恋することを前提としたその言葉に、リュシアンは眼を見張った。しかし言葉を理解すれば、その口から漏れるのは小さな笑い。
 なんて自意識過剰、と思いながらもリュシアンは頷いた。いつかまた彼に恋することを願いながら。