君が好き

「ラルナス様! 結婚してください!」
「帰れ」
 しっかりばっちりと化粧を施した美少女は、目前の黒い青年に叫ぶ。それを即座に切り捨てる青年に周囲は苦笑だ。
「ラルナス、リアン殿が可哀想だぞ」
「そうそう。お前には勿体無いぞ」
 出来ることなら俺が代わりたい、と口々に訴えてくる悪友どもを一睨みして美少女を一瞥する。そこにはきらきらと瞳を輝かせる少女。背中に垂れ流した栗色の髪はさらさらと揺れる。若草色の瞳は否定の言葉には屈しないとばかりに希望に輝いている。
 それに盛大な溜め息を吐き出し、ラルナスはリアンを睨む。リアンはそれに怯えるどころか、嬉しそうに相互を崩す。
「ニザリ男爵令嬢。何度も聞くが俺の何が気に入って結婚を迫る?」
「理想の旦那様だからです」
 間髪入れずの即答。ラルナスは頭を抱える。妹の親友として紹介されたのは三年前。その時はまだラルナスは外見を見られる程度には整えていた。妹も「お兄様が一番素敵!」と褒めるものだから調子に乗ってはいた。結婚を考えるほどの女性にもであった。
 しかし相手が求めるものは地位と金と顔、である。それを知ってからラルナスは女性と恋愛することはなくなり、夜会にも顔を出す程度の付き合いになった。そんなラルナスから離れていく友人と思っていた人間も居れば、面白がって親交の深まった悪友も居た。
 そしてリアンは格好をつけていたラルナスを知る一人であり、その時からきらきらとした憧れの目を向けてきていた一人でもある。正直に言えばうざい。結局は外見だ。それが正しいように、リアンは事あるごとに服装をああしろだの、髪型をもっと整えろだの、口うるさい。
 見た目に騙される女に捕まる気はない。邪険に追い払うが、これがしつこい。
「俺はお前みたいな小娘は相手にしない」
「年齢はどうにもなりませんが、ラルナス様の好みに合わせます!」
 拳を握り、力説する姿はなんとも滑稽。ラルナスは軽蔑も露に鼻で笑う。
「馬鹿馬鹿しい」
 そう言って椅子から立ち上がり、リアンの顔を見ずに歩き去った。その後姿をリアンが傷つき揺れる瞳で見送ったことも知らずに。

 それからひと月後の夜会。リアンはそこに居た。これが最後、とリアンは覚悟を決めて、ラルナスを探していた。十八になるまであとひと月。親との約束の期限が迫っていた。それまでにラルナスに良い返事を貰いたい。
 しかし最後の軽蔑も露だったラルナスの態度を思い出し、リアンは不安に駆られる。その手に持っていた扇子に目を落とす。それは昔、ラルナスがくれた物。ラルナスにしてみれば何気ないもの。しかしリアンにしてみれば初めての自分のもの。これだけは妹に奪われないようにひた隠しにしてきた。
「リアン?」
 その声にリアンははっと、顔を上げる。そこには心配そうにこちらを見つめるキーラ。その姿にリアンは気を引き締める。
「何? キーラ」
「その、大丈夫?」
「大丈夫、って何が?」
 リアンが鮮やかに笑えば、キーラは曖昧に微笑む。リアンは知っている。この心優しい親友がリアンのことを心配していることも、リアンと両親の約束も。全てを知っている上で、キーラは協力してくれていた。自分にとって大切な兄と親友の間に立たせてしまったことを申し訳なく思う。
「…何でもないわ。お兄様ならあの奥にいらしたわ」
「あんな所に? 探していたのよ。ありがとう」
「ええ。……リアン……」
 不安そうにこちらを窺うキーラに苦笑しながらリアンは頷き、先を促した。
「頑張って。もしお兄様が断ったら、私がお嫁に貰ってあげるから」
「ふふ。縁起でもないけれど、そちらのほうが私も幸せかしら」
 一瞬の悲しげな表情をキーラは見逃さない。しかし抱きしめることも、慰めることもリアンは拒絶する。だからこそ気づかない振りをしてリアンの背中を押し出す。上手くいくように祈りながら。
 リアンはラルナスの姿が見えたところで一度立ち止まり、深呼吸をする胸に手を当ててみれば鼓動はいつもよりずいぶんと早い。覚悟を決めて踏み出した瞬間、リアンは自分の名前が話しに上がったことで足を止めた。
「おい、いつになったらリアン嬢の求婚に答えるんだよ?」
「一生ない」
「ちょ、それ酷くね? 何が気に入らないんだよ」
「存在」
「え、全否定!? 人でなし!」
 心底嫌そうにラルナスは答える。それにリアンは震えが走った。そこまで嫌われているのか、と泣きたくなる。
「媚びてくる姿が不愉快。化粧も派手で厚いのが嫌だ」
「………それは今までのお前の恋愛相手だろ」
「リアン嬢は可愛いし、媚びては無いよ」
「じゃあ、金目当てか」
「待て。何でそこまで悪いように見るんだよ」
「あいつが養女で元平民だから」
 その言葉にリアンの息は止まる。知られていた、という恐怖よりも、身分を気にするような人だったとうい失望が強い。
もう、限界だ、という気持ちが胸の奥底から湧き上がる。どうでも良い気持ちになる。視界が黒に塗りつぶされる。ラルナスの顔さえも判らなくなる。ふらり、と身体が傾ぐ。傍にある壁に手を付く為に右手を上げる。その拍子に手にしていた扇子は床へと滑り落ちていった。
かちゃん、と小さな音を立てるそれを気にすることも無いまま、リアンは足を叱咤し、一歩を身体の後ろへと出す。そのままリアンはその場を後にした。
ラルナスは何かが落ちる音にふと視線を上げた。そこには誰も居ない。首を傾げ悪友たちに向き直ろうとしたその視界に良く見慣れた後姿を見た。いつものように垂らした栗色の髪。少しふら付いている気がしないでもないが、その後姿はリアンだと確信した。無意識のうちに椅子から腰を浮かそうとしていた。それに気づき、何事も無かったかのようにもう一度深く椅子に座り込む。どうせこちらから行かずとも自分の許に来るだろうと楽観しながら。
その判断を間違っていたと気づいたときには既に遅かった。
 
「お兄様! リアンを見ていませんか!?」 
 そういってラルナスのもとに来たのは妹のキーラ。その様子に眉を顰めながら、ラルナスは否、と答えた。それにキーラは不安に瞳を揺らす。今日が最後の機会と言ってもおかしくは無い状況。彼女は切羽詰っていた。
しかし兄に同情で求婚を受け入れられるのは彼女の矜持が許さず、なんの説明もしない求婚。
十八までにあの男爵家に有利な結婚をしないならば実家に差し戻す、というものだった。子供の無い男爵家の夫婦が親に捨てられたリアンを拾ってやった。実の娘のように可愛がっていたのに、奇跡的に子供を授かってしまえば、リアンはただの邪魔者でしかなかった。男爵家を継ぐことが出来るように、と様々な知識を付けていたにも拘らず、夫婦はリアンを捨てられた実家に戻す、とまで脅したのだ。 
「今日は絶対にお兄様の許に行く筈だったのです!」
「………なんで絶対、なんだ?」
「そ、それは……」
視線を彷徨わせるキーラに痺れを切らし、ラルナスは立ち上がった。あれを探せばいいんだろう、と半ば八つ当たり気味に足を動かす。
たまたま視界に入った辺りに目を向ければ懐かしいものが見つかった。それを拾い上げれば昔リアンに自分が買ってあげたもの。キーラにせがまれ、仕方なくリアンと三人で街へ出かけたときの物だ。たいした事の無い物であり、値段であった。
何かを拾った兄の手元を覗き込み、キーラは声を上げる。
「これ、リアンの扇子です!」
「知ってる」
兄のそっけない言葉にキーラは憤慨する。リアンの気持ちを素直に受け止めない兄に怒りがこみ上げてきた。初めは変な女性に騙された兄が可哀想だった。
しかしここまでくれば苛立ちが募る。リアンは素直で、真面目。みんなの前で求婚なんて、本当は恥ずかしくて嫌だっただろう。しかしそんな感情を一切外には出さなかった。辛いことも、苦しいことも全て飲み込んで。それでもその心は穢れる事無く綺麗なまま。
そこまで考えると、自分の兄には勿体無いと思うようになってきた。じとりと兄を睨みつけ、キールは扇子を引っ手繰った。
「キーラ?」
「もう、いいです。お兄様なんてリアンに嫌われて、一生独身で居ればいいんです!」
 ちょっと待て、とラルナスが言おうとしたがキーラは扇子を胸に抱え駆け出した。くつくつと笑う悪友たちを振り返れば、全員がキーラを褒め称える眼でラルナスを眺めていた。
「何なんだ。一体」
「リアン嬢に嫌われたんだろ?」 
「いや、見捨てられたんだろ」
「まあ、どっちにしろ」
 ぽん、とラルナスの肩を叩き、笑い一歩手前の表情で悪友たちは声を揃えて宣った。
「振られたな」
 その言葉にラルナスは胸がつきりと痛むのを感じた。なんだ、と胸に手を当てるが何もない。首を傾げながらラルナスは悪友たちを一睨みした。

「今までお世話になりました」
 優雅に一礼し、リアンはニザリ男爵邸を後にした。夫妻に貰ったものは全て置いて行き、その手に残った荷物は小さな鞄一つ分。リアンの心残りはどこかで落としてしまったラルナスに買って貰った扇子だけ。もうキーラとも簡単には会えなくなってしまった。屋敷を出てからリアンはどうするか考えた。何個かの伝はあるものの、それを活用するべきか否か。
「リアン!」
 悩んでいたリアンの元に聞こえた声はキーラのそれ。え、と顔を上げたそこにはキーラが居た。
「キーラ?……何?」
「我が家に来て!」
「……は?」
 ぼんやりとしたリアンの様子に痺れを切らしたキーラがリアンの腕を強引に引っ張り馬車に押し込む。そのまま馬車はキーラの実家へと走っていった。

「ちゃんと話をして!」
 そう言ってキーラはリアンをラルナスの部屋に放り込んで出て行ってしまった。荷物も取り上げられ、身動きが出来ない。おろおろと視線を彷徨わせる。その姿に毅然としたニザリ男爵令嬢の姿か見当たらずラルナスは驚きに目を見張った。困惑も露なリアンに声をどう掛けようかと悩んでいたら彼女から声を掛けてきた。
「シーザル侯爵様、私のせいで面倒ごとに巻き込んでしまってすみません」
「………え」
 シーザル侯爵。確かに呼びかけとしては正しい。しかし彼女は自分のことを一度として地位や階級で判断していなかった。いつもラルナス、と名前で呼んでいた。彼女に見えない境界線を張られた気分になった。とても不愉快な。
「……今まで通りラルナスで良い」
「そういうわけにはいきません。男爵家に居たときにも、恐れ多いことだったのです」
「……俺が構わないと言っている」
「一平民が侯爵様の名をお呼びするなど、許されません」
 そう、たしかに許されない。しかしそれがどうした。他人のように呼ばれることがこんなにも辛い。胸が苦しい。彼女の笑顔も見れない。笑顔どころか、顔さえも彼女は見せてくれない。お前まで俺を見捨てるのか、そう喉まで出掛かって気づく。
 この距離は自分が望んだことだと。彼女は自分をに捨てるのではなく、見限った、という事に。
 なんて遠い。
「……リアン」
「はい」
 氷のように冷たい声音。それに傷つくのはおかしい。判っていてもその思いは言葉に乗せ、口からあふれ出す。
「俺の方を向いてくれ」
「出来かねます」
「……頼むから」
「………侯爵様」
 溜め息交じりのその言葉。苦言を呈するその口調にラルナスは我慢の限界を感じた。大股に歩き、リアンとの距離を一気に詰める。それに驚き顔を上げたリアンはすぐさま距離を開けようと下がろうとする。それをさせまいとラルナスはリアンの腕を掴む。そのまま自分のほうへと引き寄せる。
 しっかりと胸に抱きこみ、リアンの文句は全て聞き流した。一瞬顔を上げたリアンの顔は化粧を施していないにも拘らず美しかった。化粧によって態と幼くしようとしていたようで、化粧をしていないその顔立ちの方がラルナスの好みだった。
 そこまで考え、あることに気づく。自分の好みだったその顔の女に騙され、ややきつめの美人顔のリアンにきつく当たっていた時期があったことに。思い出せばそのぶん不甲斐無い自分の失態がごろごろと出てくる。
「こ、侯爵様」
「ラルナス」
「…………」
「その呼び方以外は受け付けない」
 横暴な、というリアンの非難は聞き流す。そのかわり彼女の後頭部をしっかりと自分の胸に密着させる。もう片方の手は逃げないようにしっかりと腰にまわす。
「ラ、ラルナス様」
「何?」
「離して下さい」
「嫌」
 困っている。困らせているというのも理解している。でも手放せない。諦めきれない。彼女にとっては今更。多分、自分にとっても、今更。しかしだからこそ判ったこともある。
 リアンを手放せば、もう二度と立ち直れない。
「ラルナス様」
「俺と結婚してくれるなら良いよ」
 頭を抑えていたのに、彼女は見上げてきた。その瞳は傷ついていた。その瞳に射られ、言葉を、場所を、時を間違ったことを思い知る。そんな表情をさせたかったわけではない。
 きっと自分自身も情けないほどに困った顔をしていることだろう。
「酷い。」
「リアン?」
「ひどい、ひどい! なぜ今になって! 哀れみですか!」
 リアンの感情が渦巻く。ずっと欲しかった言葉。でも今はもうそれは苦しみだ。哀れんでの台詞。同情からの言葉など要りはしなかった。
 ぽろり、と意図せず涙がこぼれる。いけない、と思ったが、それは遅く。後から溢れてきた。
「嫌いです! そんな言葉を吐くラルナス様も、言わせる私も!」
「違う! 哀れみからではない!」
 静かに涙を流し、己を詰るリアンにラルナスは顔が苦痛で歪む。何とかしたい、どうすれば泣き止む。考え、悩んだ末の手段は消して褒められたものではなかった。
「ラ……!」
 その艶やかな薄紅の唇を己のそれで塞ぐ。びくりと肩が震えたが気にも留めずに、リアンの唇を味わう。微かに甘いそれをそっと自分の口で挟み込む。優しく歯を立てれば驚いたように薄く口を開いた。その隙を見逃す事無く、自分の舌をすりると割り込ませる。
 彼女の中は熱く、柔らかい。余りの気持ちよさに我を忘れて貪る。上顎を舐め上げれば小さな悲鳴を上げるそれが心地よい。逃げ惑う彼女の舌を強引に絡ませれば、自分の胸に手を当てていた彼女の手が可愛らしくすがり付いてきた。
 もっと、もっと。貪欲にリアンを味わえば彼女はぐったりと体重を掛けてくる。その重みさえ心地よくさせたが、すがり付いていた手がだらりと落ちたことに気づく。どうしたのか、とリアンの顔を覗けば真っ赤な顔をしてぐったりとしていた。
「……やりすぎたか」
 力の抜けきったリアンの身体を軽々と持ち上げ、ベットへと運ぶ。しかしあることに気づく。
「既成事実を作って結婚を迫るか」
 途轍もなく良いことに思えた。ベットに横たえさせたリアンの靴を脱がせ、胸元を寛がせる。白い首筋に誘われ、そこに舌を這わせる。リアンの甘い匂いに誘われ、そこに唇を押し当て、きつく吸い上げた。顔を離したそこには綺麗に紅い華が浮かんだ。それに気分が高揚し、ラルナスは鎖骨に、胸元に、華を増やしていく。その間も両手は忙しなく動き胸元から腰、背中に回り、リアンを半裸にしていった。
「……う……」
 意識が浮上したリアンはなんだか肌寒い状況に首を傾げた。そして身体が熱くて、くすぐったい。
「……な、に……?」
「何だ。もう気が付いたのか」
 胸に埋めていたラルナスはその顔を上げてリアンと顔を合わせた。情欲に濡れた瞳をリアンに向け、自分の唇をゆっくりと一舐めして見せる。わざとそうした行為は功を奏し、リアンの顔は深紅に染まった。
「なななななななな!」
 リアンの頭は空回りし、悲鳴も出てこない。それに付け上がり、ラルナスは艶を多分に含んだ声音でリアンに囁く。
「このまま犯されるのと、俺の求婚を受け入れるのとどちらが良い?」
 俺はどちらでも構わない、と言ってやればリアンは困惑を滲ませる。
「わ、私は」
「うん?」
「私を好きだといってくれる人と結婚がしたいのです」
 小さな、聞き取りにくいほどの声でそう言われた。それにラルナスは首を傾げた。
「俺はリアンに言ってなかったか?」
「な、何をですか」
 ふ、と穏やかに微笑んで、ラルナスはリアンの耳朶を甘く噛んで囁いた。
「リアンを愛している」
 好きだという言葉では足りないほど。今すぐリアンを食べ尽くしてしまいたいほど。
「リアンは?」
「す、好き、です」
「……うん?」
 その言葉はラルナスのお気に召さなかった。片手をリアンのしなやかな大腿に滑らせる。ゆっくりと焦らすように這い上がってくるその手に、リアンは危険を感じた。
「だ、大好きです!」
「……うん」
 大いに不満顔でラルナスはその手を止めない。もうすぐ大腿の始まりにまでその手が達してしまう。そう思うとリアンは混乱しながら叫んでいた。
「愛してます!」
「うん」
 ラルナスは満足げに頷いたが、瞳の奥の欲情は残念がっていた。もう少し触っていたかったが、相手は初心者。今日はここまでにしておこう。どうせ毎日触れる事が出来るのだ。
 下心満載の笑顔でラルナスはリアンにもう一度口付けた。
 卑怯でも何でもリアンの手を取り戻せたのだ。それで良い、と満足そうに笑うラルナスを見ながら、リアンは控えめに、幸せそうに笑った。