久遠の恋‐ヴァツラーとノイエ‐

 天空の門に異変が生じた事を察知したノイエは門へと急ぐ。門を守るのがノイエの血族に課せられた仕事だ。急いだ門には倒れこんでいる一人の人間。この門を通った、と言う事は少なくとも誰かの血族である。
 面倒だな、と言うのがノイエの正直な感想。死んでいればそれで終了。しかし生きていれば、誰かが保護しなくてはならない。
「君、生きてる?」
 その問いに答えることは無い。死んだな、と冷徹に切り捨てようとした時。
「……………ん」
 生きていた。心底面倒な拾い物をした。溜め息を付き、ノイエはその男を背負う。竜の中では人間同様の能力ではあるが、人間の男よりも膂力、能力その他は桁違い。人一人担ぐのぐらい訳は無い。
 青年の服を何気なく掴めば、手には濡れた感触。鼻には鉄錆臭い匂いが漂う。重症だな、と感じるがそれだけ。竜の中でも魔女の中でも爪弾きにあっていた彼女には、他人の生死など感情を揺さぶる出来事などではない。
 自分の小さな小屋に運び、ベットに寝かせる。服を剥ぎ取れば、そこには想像以上の酷い傷。仕方なく手当てをし、魔術で少しだけ治癒力を高めてやる。そこまでしてノイエは青年に布団を被せて放置した。
 傷が癒えれば嫌でも眼が覚める。その時に煩くない様に消化に良い物を作り、拾い物をしたと下界との繋がりの強い竜に報告する。
 ほんの少し留守にしていた間に、青年は目を覚ましていた。ぼんやりとしていた青年は、人の気配を感じ取ると、途端に警戒心を顕にする。その様子にノイエは猫か、と呟く。その声は空気に溶けて、青年まで届かない。
「貴様は誰だ」
「………君、助けて貰っておいて、よくそんな態度が取れるよね」
 はふ、と溜め息を付けば、肩を大きく揺らした。
「何を……」
「ここは君が今まで居た世界と違うから、よく憶えておくと良いよ」
「何だと?」
「ここは空中庭園。選ばれた者しか入る事は出来ない」
「………選ばれた………?」
 ふと考え込む青年にノイエは言い方を間違えた、と感じた。選民意識の塊のような人間ならば、違う取り方をしてしまう。ノイエの言った『選ばれた』、と言うのはその名の通り。竜の血、もしくは魔女の血を引く人間の事だ。神とやらに選ばれた、と勘違いを起こすかもしれない、と考えた。
「お前の言う選ばれた、と言うのはどういう意味だ」
 おや、とノイエは眼を見張る。冷静な人間だ、と感心する。彼の眼には冷徹な思考をしている人間の感じがあった。まるで鏡を見ているようだ、とノイエは顔を顰めた。驚いていても冷静であらねばならない。そんな環境下で生き抜いてきた、と言う事でもある。
 厄介な人間を拾った。しみじみとノイエは拾った事を後悔した。どんな状況下でも冷静、冷徹な人間は限られてくる。
「その質問に答える前に、確認なんだけど」
「何だ」
「君、もしかして貴族とかだったりする?」
「………それを知ってどうする気だ」
「…………いいや。もう良いよ。聞きたくない。」
 最悪を想像し、それが当たっていたようだった。ノイエは早々にこの青年を放り出す事に決めた。
「おい。貴様。どういうつもりだ」
「聞いて悪いけど、もういいから。聞かなかったことにして」
 心底嫌そうな顔をするノイエに青年は押し黙る。
「で、君が聞きたがってた事だけど。」
「………あぁ」
「『選ばれた』っていうのはこの場合、君の身体に流れる血の事だよ」
「血だと?」
「そう。君の身体には竜の血が流れているはずだよ」
「それが何故判る」
「天空の門を通るには、石が必要なんだけど」
 石、と押し黙る。そっと胸元を押さえるその仕草に、ノイエは確信する。彼は石を持っている。
「その石は自らの血族を護り、この空中庭園に導く」
 そっと青年が出した石は、紺碧に輝いていた。一言許しを貰い、その石を手に取る。ノイエの脳裏にある人物が現れた。
「ヒストの石だね」
「ヒスト?」
「百年ぐらい前に寿命を迎えた老竜。血族はそう多くない」
「何故だ?」
「殆どが人間と同化して下で暮らしているから」
 でも、とノイエは青年を見る。彼は明らかな先祖返りだ。雰囲気がヒストに良く似ている。竜の血が濃かった為に馴染めなかった、もしくは権力争いに巻き込まれたか。 
「ここには君の追っ手は来ないよ。ここで暮らすつもりはあるの?」
「私は死にたくは無いし、権力にも興味は無い」
 此処に来たのも、母上が帰りたいと言っていたからだ、と告げる。それを聞き出せばノイエの仕事は終わる。
「じゃあ、君の身柄はヒストの血族に預けるよ」
「え?」
「血族同士のほうが気兼ねしないで頼れるだろ?」
「……まぁ、そうか?」
 そういう訳で、ここからは早々に出て行ってもらうから、と言えば複雑そうな顔をしていた。
「お前、名はなんと言う?」
「人の名を聞くならまず自分から名乗るべきだろ」
「ふ、そうだな。私はヴァツラーと言う。お前は?」
「私はノイエ。出来損ない、という二つ名があって、そっちのほうがよく知られてるよ」
「………ノイエ、ね」
 うっすらと笑みを作った顔は、凶悪に美しかった。
それから毎日のようにノイエの小屋に押しかけ、居座り、いつの間にか共に生活してしまい、うっかりと竜の本能に巻き込まれ、ヴァツラーがノイエの心を溶かし、入り込み、『久遠』としての座に収まってしまうまで、そんなに月日は掛からなかった。