久遠の恋‐イルミとアヤ‐

 その少女と出会ったのは本当に偶然だった。後にして思えば、彼女に会わなければ、自分は一生『久遠』には逢えなかった。
 大量の魔術師が居て、魔方陣をぐるりと取り囲む。その魔術師たちはもう何時間も呪文を唱えている。その傍にはこの国の王と皇太子、それを護るように二、三人の兵士。その兵士の中に彼、イルミも居た。竜である事を隠してこの国に住んでいる彼は、白けた風味でその風景を見ていた。
(神のお告げか何か知らないけれど、召喚される側は良い迷惑だよ)
 ふ、と小さく息を漏らした時、魔方陣が光に包まれた。その中から歩いて出てきたのは、少女。周囲は歓声を上げそうになったが、彼女の姿を認識してその表情は強張る。
 イルミも驚いていた。黒髪など滅多に居ないが、稀に居るのだ。その人たちは皆魔女として迫害を受けていた。イルミの母親も迫害を受けた一人。
黒髪、黒眼は忌避する色として迫害された。普通に茶髪や金髪の魔女のほうが多く占めている事に、人間たちは未だに気づいていない。だからこそ召喚された少女の姿に嫌悪の表情を隠そうともしないのだ。
「え、あの、何なの?これ」
 おろおろと辺りを見るその姿は、これからの事を想像すれば可哀相に見えてくる。男のように短い黒髪、珍しい事に瞳も黒いその少女は不思議な服を着ていた。足元など膝が丸見え。そのあられもない姿に赤面するはずが、周囲は蒼白。余りにも面白い事態に、イルミは笑いを噛み殺すのに苦労する。少女がまた足を前に出せば、他の兵士は剣を彼女に突きつける。
 それに首を傾げながら少女は痛い人を見るような眼を向ける。
「え、何?これ。何かの撮影?」
 剣に触れようとした手を、あろう事か兵士は傷つけた。小さな悲鳴を上げて彼女は蹲った。手からは紅い液体が零れ落ちる。
「痛い、痛いよ。何、本物なの?え、銃刀法違反……」
 呆然と告げるその言葉の意味が解るはずもなく、王も皇太子も彼女を遠巻きに見ていた。ぽろり、と痛みのために零した涙はこちらの痛みも増やす。
「父上、あれは、魔女ですよね?」
「あぁ、召喚は失敗だったか」
 そう会話する先、彼らは兵士に命じた。
「そのおぞましい者を処分しろ」
 その命令に兵士の顔つきは変わる。手にした剣を少女に向け、振り上げた。とうとう見ていられなくなり、イルミは少女の前に飛び出した。驚く少女に優しく微笑み、兵士たちの方に振り返る。その時に風を巻き起こし、兵士たちの剣を吹き飛ばし、身体も遠く離れた壁まで吹っ飛ばした。
それに少女はあんぐりと口を開けて佇み、王と皇太子は今起こったことが信じられず呆然としていた。その隙にイルミは少女を片手で抱え上げ、宣言する。
「勝手に呼び出しておいて、おぞましいとかあんたら何様だ?」
「き、貴様、無礼であろうが!!」
「無礼?生憎俺はこの国がどうなっても構わないから言うけど、『竜』と『魔女』を迫害してきたのはあんたらだ。俺たちに身分なんてものは存在しない」
「りゅ、竜、だと」
「存在するのは、俺たちに害をなそうとする奴らには容赦しない冷徹さと強い絆だ」
 こんな風にな、と呟けばその建物の天井はいきなり吹き飛んだ。急に明るい場所に晒された人たちは叫び声を上げる。イルミは少女が飛ばされないようにしっかりと抱える。余裕に溢れた顔つきで顔ごと空を見上げれば、金色の瞳がぎょろりとイルミに当てられる。紅い鱗と皮膚に覆われた巨大な竜は唸り声を上げる。
「久しぶりだな、レント」
 軽く手を上げる。それに応える様にレントと呼ばれた竜は金色の瞳を細めた。その様子に抱えられた少女は呆然と呟いた。
「え、夢オチでもないよね。………現実?」
 意外に冷静なその姿は好感が持てる、とイルミは笑う。しっかりと自分に掴まらせ、軽い調子で真上に飛ぶ。その跳躍は人のそれを大幅に越え、紅い竜と同じ目線になる所まで跳び、その行動を予想していたらしき竜は自らの背を着地地点として差し出した。なだらかな坂道となっているその背に難なく降り立ちイルミは少女をその背に降ろした。
「その手、見せてみろ」
 赤い血を滴らせていたその手はまだ少し出血していた。その掌に近づき、イルミは鼻を鳴らす。彼女の身からは魔女のように竜の匂いはしない。魔術師のように魔術の匂いもしない。完全な無力で脆弱な人間。
 ぐるぐると喉を鳴らす竜に、イルミは判ってる、と毒づく。ちらりと少女に眼を向ければ、周りの様子から異常さを感じ取り居心地が悪いというように身体を縮こまらせている。
「お前、名前は?」
「え、あ、彩、飯舘彩、です」
「アヤ、ね」
 そう言ってイルミは彼女の掌に舌を這わせる。びくり、と身体を震わせ、アヤは指を握りこむ。それにイルミは不服そうな眼をアヤに向ける。そんな眼を向けられてもアヤは怯むことなくイルミに文句を言う。
「へ、変態!なんなのよ!貴方!」
「俺?イルミ。竜族。こいつは同じ竜族のレント。見たまんま、火の属性が強い」
 そう言った途端、レントは翼をゆっくりと羽ばたかせる。ある程度上昇した後はゆっくりとその場に留まる。
「で、問題はアンタだ」
「わ、私が何よ」
「召喚物は無機物も有機物も全て返す事は出来ない」
「つまり?」
「お前は一生ここで暮らす事になる」
「…………で、何が問題なのよ」
「お前のその見た目だと普通に暮らす事はまず無理」
「何でよ!!」
「黒髪も黒眼も魔女の色とされていて迫害の対象なんだよ」
「はぁ!?」
「暮らせれる場所も有るには有る」
「じゃあそこで暮らすわよ!」
「本当に?」
「そうしないと生きていけないんでしょ!?」
 そう言えばイルミはにやりと不気味に笑う。それにたじろぐアヤの腕を掴む。空いているほうの自身の腕にイルミは歯を立てる。じわりと溢れてきたその血を口に含み、アヤの唇に擦り合わせる。びっくりしたアヤは微かに口を開け、その口内にイルミの舌が侵入を果たす。そのまま口内を荒らされ、ついでとばかりにイルミの血も流し込まれる。それを何とか嚥下したアヤにイルミはにやりと笑いかけ、口を開いた。
「これから行く所は竜の血が流れていないものは弾き飛ばされる」
「い、い、い、言ってからしなさいよ!!」
 盛大に笑い声を響かせ、イルミは空中庭園に向かうようにレントに頼んだ。

 その日、地図から一つの小国が姿を消す。これこそが先読みの巫女が視た未来。それを回避するべく召喚した少女を殺そうとしなければ生き延びる事の出来た愚かな国の終わり。そして上機嫌で空中庭園へと帰り、いそいそとアヤと暮らせるように画策した策士の手の内に落ちていたとアヤが気づいたのは『久遠』として既成事実まで作られた数年後。
 憐れみを多分に含んだレントからの言葉によって知らされたその内容に、激怒する事になる。


「ちょっと!イルミ!あんた私に嘘付いたわね!!」
「何が?」
「レントが、この空中庭園に入るのに竜の血が無いといけない訳では無いって言ってたわよ!!」
「………ち、レントの奴、ばらしやがって」
「イルミーーーー!?」
「嘘じゃねーよ。まあ、無くても入れるけど、有れば手間が省ける、てだけだよ。俺たちが連れ帰ったから入れただけだけどな」
「それでも嘘なんでしょーーーーーー!!!」