前編

 いつもの様に執事と今日の仕事について話し合いをしていた少女は顔を顰めた。沢山の蹄の音と金属のぶつかる音が屋敷に近付き、一度大人しくなった。執事もいつもとは違う雰囲気に眉間に皺を寄せた。
「お嬢様、私が見てきましょう」
「……お願い」
 物々しい雰囲気に、他の使用人も様子を窺いに顔を出してくる。それに少女は業務に戻るように指示をした。玄関の扉のほうに眼を戻せば執事が渋っている声が聞こえてきた。
 少女は自分が出たほうが早いと判断し、すぐに動いた。
「わが屋敷に何の御用でしょう」
 執事と話していた騎士は、少女を頭から爪先まで睥睨し、嘲笑の眼を一瞬向けた。その理由は何だろう、と脳裏を過ぎる。服装だろうか。侍女と言われても納得できるほどの質素な服装。全体的に煌びやかにはしていない。それは伯爵令嬢と言われても皆が首を傾げるだろう。
それとも、この平凡な顔だろうか。美男美女の夫婦の突然変異とよく笑われているから自分の顔立ちをどうこう思う事も無い。ただ嘲笑の嵐を黙ってやり過ごすのが彼女の日常になっているだけだ。
 はたまた貴族の娘が自ら客の対応をすることが卑しい、とでも言い出すのだろうか。無言でそこまで考え、騎士をもう一度見やる。
「スイ・ディナルド嬢に書状を持って参った。スイ嬢にお会いしたい」
 高慢に言い放つその騎士に不快感を募らせながら、少女は執事の前に進み出た。
「スイとは私のことです。」
「……貴女が、スイ嬢、であらせられる、と?」
「………そうだと申しているのです。書状を渡しなさい」
 右手を胸の高さに上げ、掌を騎士に向ける。低俗な騎士とは関わりたくは無い。その一言に尽きた。斜め後ろでは執事が青筋を浮かべて立っていた。さすがに暴挙には出ないだろうが、この騎士たちの運命を思うと哀れを通り越し、笑いが込み上げて来る。
 手を出したまま騎士を見上げる。騎士は不信感も露にスイを見下ろす。書状を渡すべきか迷っているようだった。
「ヴィエスタ将軍はお元気でしょうか」
 沈黙を破ったのは執事。その一言は騎士達を震え上がらせた。
「な、なぜ使用人がヴィエスタ閣下の名を口にするのだ!」
「私が旧友だからですよ。ヴィエスタ将軍によろしくお伝え下さい。」
 ふわりと笑うその執事は壮絶に恐怖を感じさせた。騎士は書状をスイに押し付けると慌てて逃げ帰っていった。それを滑稽に思いながらスイは執事を見やった。
 そこにはしてやったりという晴れ晴れとした表情の老人がいた。
「手っ取り早く済んで助かったけれど、やりすぎよ。」
「そうでしょうか。スイ様を見下す輩は騎士として相応しくはありません」
「………まさか、本気で将軍に連絡する気?」
「どうでしょうかな」
 好々爺とした笑いを残したまま執事は仕事に戻った。
「……侮れないわ」
 ぐったりとしながらスイは書状を片手でひらひらと回転させた。それを見るとも無しに見ていると両親が階上から顔を覗かせた。
先ほどのやり取りが聞こえてきて心配になったのだろう。父親は眼光鋭く扉を見つめる。
「我が家への使者があのように愚直ではこの国の行く末も決まったも同然だ」
「聞いていらしたのですか」
「聞こえたのだ。我が娘を容姿だけで判断する馬鹿者は万死に値する」
 言葉だけでは自分の娘を溺愛しているように聞こえるが、そうではないことをスイは誰よりも正確に理解していた。要約すると『愚か者と馴れ合う時間など持ち合わせてはいない』ということなのだ。父親が溺愛するのは優秀な息子たちに、美しい妻、愛らしい娘。平凡な娘には興味は無いのだ。
「それで、その書状の内容は」
「あぁ、そうでした」
 言われて気づく。こういう失態を父は嫌う。何事にも打てば響く答えを求めている。手早く書状の内容を検める。
 しかし直ぐにスイは眉根を寄せることになった。この内容をどう伝えたものか、と思案する。
「どうした。誰が、何と言ってきたのだ」
「……皇太子が、私を娶りたい、と書いてあるように見えます」
 スイは困惑していた。皇太子とは面識も無い。あちらは正に御伽噺から飛び出てきたような真性の王子様、という評判。片やスイは社交の場にも顔を出さない変わり者、という評判だ。そんなスイに何故縁談が舞い込むのか。
「イヴ宛の間違いでは」
「それは無いな。封蝋も本物だ」
 階段を下りてきた父親に書状を奪われ、スイは首をかしげながら他の理由を考える。
「私を娶ることによるあちら側の利点がはっきりしません」
 我がディナルド伯爵家は確かに王家に並ぶ古い血筋だが、そこと何かしらの繋がりが欲しいなら妹であるイヴを選ぶのが普通だ。社交の大輪といつも称され、絶世の美女と謳われる母親にそっくりなのだ。評判の良い娘と、評判の芳しくない娘ならば、当然前者を選ぶ。自分の妻は見目が良いに越したことはないのだ。
 ならばこの頭脳、であろうか。しかし表立って吹聴する愚か者はこの屋敷には存在しない。今この屋敷、及び伯爵家の領地を管理しているのは、父親の名代としてスイが行っている。行く行くは害にならない婿を娶り、スイが伯爵家を継ぐ事になっていた。上の二人の兄は諸手を上げて賛成しているとは言えない。二言目には『無理をするな』と心配そうに言ってくる。
「スイ」
 余りにも長く思考していた為に一瞬返事が遅れた。
「はい」
「取り敢えずは相手の真意が解らねば対処の仕様が無い」
「はい」
「明日登城して来いと言うのだから、行って来い」
 それは家長としての命令だった。それをスイは断る術を持ち合わせてはいなかった。しかし、ただ行かせるつもりは無いのは父親の表情で理解していた。
「ついでに皇太子の有能振りを見極めて来い」
「かしこまりました」
 深々と礼をして父親から書状を受け取る。
先の見えない愚かな皇太子であればディナルド家は髪の毛一筋でも与える気は無いのだと思い知らせなくてはならない。最悪王冠の載る予定の頭をすげ替えねばならない。それがディナルド家の責任でもある。国政にはあまり深くまで関わらないようにしているが、その代わりに暗愚な王が誕生するのを影から阻止してきた一族なのだ。幸い、今の皇太子にはあと二人予備がいるのだ。どうとでもなる。それを見極めて来い、と言われたのだ。責任は重大だった。
「お姉さまがお城に行かれるの?」
 階段を降りながらイヴが口を挟む。本来ならば父親の顰め面が出てくる場面であるのだが、父親は穏やかに微笑む。
「立ち聞きとは関心せんんぞ、イヴ」
「だって、皇太子様ってとっても素敵な方なんですもの。姉さまに求婚するなんて、ずるいわ!」
 なにが、どうずるいのか、さっぱり理解できないスイは妹の次の言葉を待つ。
「明日私も一緒に行きたい!」
 妹の我が侭には慣れているが、普段のそれと今回のものは話が違うのだ。服を買ってとねだったり、夜会や観劇について行くというものとは違うのだ。
しかし父の顔を見てスイは嫌な予感に苛まれる。
「スイ。イヴも一緒に連れて行きなさい」
「わかりました」
「お父さま、ありがとう!」
 にこにこと害の無い笑顔を振りまく妹にスイはため息を吐きたいのを堪えた。イヴに向き直り一言釘を刺す。
「イブ、城は夜会とは違う所よ。浮かれてはしゃがない事。いいわね?」
「はぁい!」
 嬉しそうにそう返事をしてイヴは階段を駆け上がった。意味が解っているのか、と聞きたくなる浮かれぶりだ。城をちょろちょろと駆け回った日には置いて帰ってしまいそうだ。
「スイ」
「何でしょうか、母様」
「思惑など関係なく、貴女自身が気に入らなければ、この不可解な縁談など切って捨てますからね」
「大丈夫です。心配をお掛けして申し訳ありません」
 その言葉に母親は微苦笑する。それだけでも絵になるのだ。正直美女は羨ましい。母親は頬を撫で、念を押した。
「あの人の思惑など気にしてはいけませんよ。貴女を守るのに私は躊躇いなど無いのですから」
 母の言葉に今度はスイが苦笑した。どう言われようと父の命令を聞かないという選択肢はスイの中には無いのだから。 
 明日の準備をしなさい、と母親に背を押されて自分の部屋に入ったがそこにはイヴが待ち構えていた。腕を胸の前で組みこちらを睨み付ける。
「お姉さま。私、どうしても皇太子様とお近付きになりたいの!」
「……協力をすればいいの?でも、私は仕事で行くのよ?」
「お姉さまのお仕事の邪魔はしないから!」
 ね、と可愛らしく懇願してくる妹に呆れながらも、はいはいと生返事しておく。妹の事は放っておいても取り巻きが現れるだろうから心配はしていない。問題は自分自身だ。無理に愛想を良くして縁談の話を進められるのは困るが、不遜な態度で睨まれるのも回避するべき。程々の愛想で相手から情報を引き出すのは非常に難しいと言える。
 何を着ていこうかと目を輝かせている妹を眺めながら、スイは憂鬱な溜め息を吐いていた。
 翌日、見事な晴天にスイはかなりうんざりしていた。今日一日屋敷を離れるにあたって深夜遅くまで今日の分の仕事をこなしていたのだ。当然寝不足である。馬車の向かいにはきらきらしく飾り立てた妹、イヴ。ふわふわと落ち着き無く、頬を薔薇色に染めている。反対にスイはいつもよりも伯爵令嬢らしく瞳の色に合わせた緑のドレスを着ていた。
しかし化粧はほとんど施さず、髪型も見苦しくない程度にまとめ、後は全て肩に流している。明らかに気乗りはしていないがそれなりの誠意は見せておこう、というものだった。
「お姉さま。私はお姉さまと皇太子様のお話のときも傍に居て良いのかしら?」
「どうかしら。もしかしたら部屋を別にされるかもしれないわね」
「そうなったらお姉さま頑張って断ってね!」
「……解ったわ」
 妹に強気に出られないのがこんなにも腹立たしいとは、とスイは内心苛立たしく思っていた。
 城の前で馬車は止まり、そこに迎えの者が来ているのだろうとスイは思っていた。それは当たっていたのだが、まさか皇太子本人が出迎えるとは一切予想していなかった。馬車から降りたイヴがなかなかそこから動かないことに不信感露に顔を覗かせたスイに皇太子は女性が魅了される、という笑顔を向けてきた。
「スイ・ディナルド嬢ですね」
 華やかな笑みにスイは内心顔を顰める。全く自分と釣り合いが取れないのだ。
――家柄以外。
「皇太子殿下であらせられますね」
スイは内心を晒すことなく皇太子に隙の無い振る舞いをする。皇太子の差し出した手をさりげなく無視をし、馬車から降りる。その瞬間の周囲の視線が変化した。スイとイヴを見比べてがっかりしたのだ。
 スイは違う意味で内心がっかりしていた。この程度の人間を侍らせている皇太子に残念だ、と思ったのだ。
「今回はお招きに預かり光栄です」
「いえ。お呼びしてこう言うのも失礼ですが、来ては頂けないと思っていたので、今安心しているのですよ」
「殿下のお呼びですので断るなどという事はいたしませんわ」
 おとなしい令嬢を演じるのは久しぶりだった。普段はイヴが会話を引き継ぐから自分が話す必要がなかった為だ。イヴを見ればそんな役目は果たせないと早々に見切りをつけた。
彼女の様子は正に、恋する少女、である。上気した頬にうっとりとした視線。かすかに微笑むその表情は文句なしの可愛さ。
この皇太子は何だってこんな可愛い妹ではなく、無表情の私なんかに笑顔を振りまくのだろう。不可解を通り越し、この人は馬鹿なんじゃないだろうか、と本気で皇太子の頭の中身を心配してきた。
地に足をつけたスイに皇太子はさも当然とばかりに、自身の腕を差し出してきた。スイはその腕と皇太子の顔を何度か往復し、体裁を守るために微かに手を腕に置いた。皇太子は笑顔でその手をつかむとしっかりと腕に絡ませた。しかもつかんだ手はそのまま離そうとしない。
スイは微かに微笑みながら自分の手を取り戻そうと試みるが、皇太子は逆らうことを許さないと、言いたげな笑顔でしっかりと手を掴んだままにする。
周りには判らない二人の微かな攻防にイヴは頬を膨れさせながら邪魔をした。
「殿下、お姉さまばかり見ていらっしゃるなんてずるいです」
「あぁ、そうでしたね。部屋を準備させているのでご案内しますね」