友人と先生

一週間に一度の割合で来る手紙。微かに香る柑橘系の匂いに心和む。口許がだらし無く緩もうとすれば両側から苛立たしげな視線が飛んで来る。
それを気にする玉でも無いが、気になるのは事実。

「………何だ」

「気持ち悪い。やに下がってるぞ」

「五月蝿い。どうせお前は婚約者に冷たくされたんだろう」

それはこの男には禁句。しかし敢えてそれを口にするあたり質が悪い。にやにやと笑うその顔を殴りたくなる衝動を堪える。

「……婚約者、とは言い難いです。あれが幸せで居てくれるなら傍に居るのが私でなくても構わないので」

「………偽善者だよ。それは」

理解不能、と顔に書きながらフロウは片側の騎士を見上げる。

「彼にとっては妹のような存在ですから」

仕方ない、と言うのはもう一人の側近。宰相の息子。名はグレイ。騎士の方は公爵家三男のディーン。グレイは恋人など仕事の邪魔と考える人間。ディーンは婚約者は居るが親が決めた幼なじみが相手。
恋愛について何も理解していない二人と話をしていても益にはならない。
しかしこの喜びを誰かに言い触らしたい。

「そういうところが嫌がられる原因だろう」

「確かにな」

そんな二人の言葉にもめげる事は無い。フロウは上機嫌なのだ。
扉の開く音に二人は反応する。そこにはある学者が立っていた。それに二人は背筋を伸ばす。それに学者は微笑み、背中を向けるフロウを眺める。
その姿に二人は内心焦った。しかしそれに気付く事無く、フロウはにやにやと手紙を読んでいた。
それを背後から取り上げ、中身を改める。フロウは手紙を取り上げられて初めて学者が来ていた事を知った。

「何だ。来ていたのか」

「呼び立てておいてその言い草ですかな」

「すまないな」

その会話のやり取りの間でさえフロウは気もそぞろだ。学者に取り上げられた手紙を取り替えそうと手を伸ばしていた。その手を器用に避けながら学者はほくほくと笑う。

「スイは私の大切な教え子でしてな」

残念ながらそのことはフロウは知っていた。しかしそれに疑問も持っていた。伯爵家を継ぐと考えていたスイが何故彼に教えを請うていたのか。
彼は、医学博士。
実用性と趣味を兼ねて、フロウは昔から彼に色々と教えて貰っていた。

「なぜスイが貴方の教えを?」

「あれは家を継ぐ事を考える前は医者になりたいと考えていたのです」

それは初耳だった。眼を見張りながらフロウはそれを残念に思った。出来ればスイ自身から聞きたかった。
そんなフロウの様子に興味なさ気に学者は続ける。

「しかし聡いあれは家を継ぐ事が自分の人生と考えましてな」

「スイの生きたいようにすれば良いじゃないか」

「その辺りは伯爵の教育のせいでしょう」

いらないことを、とフロウは舌打ちしたい気分に駆られた。家の事を考えるスイは見たくは無いのもになっている。
感情を押し殺し、固い表情になる。そんなスイは見たくはなかった。少しずつ表情が増えていく様を間近で見る事のできる今を愛しく思っていた。
だからこそ、フロウは聞いた。

「どうすればスイの生きやすいようになる?」

「それは私にも判りかねますな」

ほくほくと笑うその様は古狸。このじじい、と凶悪な念を送りながらフロウは強張る顔を無理矢理笑顔に保つ。
それを青いと断じながら笑顔て受け止め、ただし、と言う。

「あの家から解放されれば少しは息がしやすいのではないですかな」

それは一筋の光明。フロウの顔はぱっと華やぐ。それはスイと結婚しても良いと言われたように感じた。

「しかし後継者としてきたスイを簡単に伯爵が手放さないでしょうな」

その一言にフロウの気分は一気に下降した。解っている事を他人に言われると打撃が強い。たまらず沈黙したフロウを眺めて学者はぽん、と手を叩く。

「私程度で言い負かされていれば伯爵には勝てませんぞ」

「……………解っている」

憮然と呟くその姿はただの子供のようで失笑を誘った。
自分の力がまだまだ足りないことを痛感しているのであろう皇太子に学者は穏やかに笑顔を向ける。

「まあ、五年もあれば伯爵にも互角になれるでしょう」

「…………そうだな…………っは!?」

誰から聞いたんだ、とがばりと顔を上げた。そこにはしてやったりと言わんばかりの顔をした学者。その後ろに笑いを必死で堪えている側近二人。
お前らか、といきり立つフロウに学者は決定的な一言を放った。

「この程度では誰もスイを貴方にやる気は無いですからな」

半泣きになりながら机に向かう皇太子の姿を連日見るようになったとか。