03

がばり、と起きたフェンは額の汗を手の甲でぬぐった。
きょろ、と周囲を見渡せば寮の自室だった。
そして誰も居ないことを理解して、無意識に詰めていた息をゆるゆると吐き出した。

「フェン、どうした?」

どこからとも無く現れたのはクラウス。
フェンはクラウスを困らせる気はないので、力なく首を振った。

「今日は実技の再試があるから」

なるほど、とクラウスは頷き、フェンの頭を軽く撫ぜた。
ふと、フェンはクラウスの顔を眺めた。もう三年だ。あっという間だった。
問題があるとすれば、今までの調子で魔力を使おうとするから失敗する事ぐらいだ。
だが、身体にかかる負担は格段に無くなり、身体が軽くなったように感じた。

クラウスはフェンの視線の意味を正しく理解した。

「あと、十日、だ」

あと十日でフェンは十六歳になる。
その日に、フェンの魔力の大半がその身に帰ってくる。

その二年後には全てが帰ってくる予定だ。それが二人が交わした契約の一つ。

“その身体が膨大な魔力に耐えられるまで肩代わりする”

「短い、三年、だな」

「確かに」

クラウスは笑いながらそう答えた。
その笑顔をフェンは眩しそうに見ていた。三年前よりもクラウスは柔らかく笑うようになった。それは驚くほどの変化だった。

「ところで」

そう切り出したクラウスにフェンは瞳を向けて先を促す。

「あれがやっぱり気に食わん」

「………クラウス。念のために聞くけど、誰に、何をする気?」

「もちろんこの三年間フェンに暴言の数々を吐く身の程知らずな小僧だ」

憎憎しげに吐き出した暴言に、フェンは肩を落とす。

「クラウス。私情が入りすぎだ。そんなにあの時の事怒ってるのか?」

「当たり前だ!!あの程度がこの我を隷属させようなどと!!」

今にもくびり殺しに行きそうな雰囲気なので、フェンは一応クラウスを宥める。

「えーと、クラウス。お怒りの所悪いんだが、人を殺したらその時点で契約破棄だぞ」

解っている、と睨まれる。その無駄な冷静さを分けてくれ、とフェンは切実に思う。
ふ、と肩の力を抜き、クラウスは恨めしげな目をフェンに向ける。

「我が顔を出せば、あれの記憶も戻るやも知れないしな」

「そうそう」

契約を交わし、一番にクラウスに命じた事は、メストレの記憶を曖昧にすることだった。
完全に消してしまうと後々ぼろがでると判断しての応急処置だった。
が、意外にもそれが効きすぎの感がある。
なんか私、あの人に恨まれるようなことしたか、といつも首をかしげている。

「あれは破滅的フェンリルファンだからな」

普通、そこは熱狂的、とか言いませんか。
というつっこみは飲み込んだ。
フェンリルと言う名は世襲制だった。この名を名乗っていたのはフェンリルの叔父。
しかし、叔父が自分から言ったのだ。

『私よりもこの子の方が魔力が強い。フェンリルはこの子が継ぐべきだ』

本来なら、叔父が亡くなってから継ぐ予定だったのだ。
それを覆されたのだ。
薄く小さなその肩には『フェンリル』という名と『帝国最強』という肩書きを持つ家の長という重りが圧し掛かっている。
少女がそれを継いでいては侮られる、と髪は少年の様に短くされ、言葉遣いも男のようにさせられた。
叔父の美しかった銀髪には程遠いくすんだ灰色の髪。
澄んだ空を思わせた蒼の宝玉のような瞳に比べ、フェンは一族の皆から気味悪がられる紫の瞳だった。
暗く沈んでいきそうになる思考をフェンは無理矢理断ち切った。
クラウスに殊更明るく声を掛けた。

「朝ご飯に行ってくるよ」

そう言って食堂に行けば、今度は教師に捕まった。
人を人とも思っていないような瞳にフェンはうんざりする。
その教師はフェンの実家から輩出された名の通った人物だった。

「フェンリル、毎回実技の再試をするような人間にその名は重いとは思わないのか」

「何が言いたいのですか」

「ふん。頭もまともに回っていないとはな。」

これだから子供にその名を継がせるのは間違いだったのだ、と聞こえよがしに言う。
ふ、とフェンは白けて嗤う。

「仮に私がこの名を返したとして、」

「……何だ」

「貴方はこの名を継げるほどの力を持っていないし、叔父上が継いだとしても叔父上は自分の息子には継がせないだろう」

あの人は誠実で、純粋に、あの家とフェンリルと言う名を愛しているから。
ばしん、と言う音と共にフェンの頬に痛みが走る。
怒りに顔を赤く染めるその姿は滑稽で、フェンはより一層暗い嗤いを顔に乗せる。

「あぁ、図星?程度が低いね、従兄殿」

「煩い!!」






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