01.終わりの始まり

 手がもう動かない。ぼんやりとした思考の片隅で冷静に判断した。かなりの労力を要しながら、重い瞼を抉じ開ける。そこには何かが居た。ぼんやりとして、真っ黒なそれはヒトであろうと思う。
しかしこの場にヒトといえば思い描くことの出来るのは一人。ヒトと判じて良いのかさえも曖昧。彼は、自分を死に追いやった張本人。思考が纏まらない。それを歯がゆく思いながら、眼を凝らす。そこには思い描いたヒトがいた。
艶やかな黒髪、太陽のように煌びやかな金色の瞳。いつも眼帯で隠されていた眼は確か、氷のような薄青だった、と最後に別れた時、初めて目にした驚愕と共に思い起こした。
片目は契約の証として契約者の瞳と同じ色になる。だから彼の目は自分と同じ目の色なのだと勘違いしていた。しかし今、目の前に居る彼は両目とも鮮やかな金色。何故だろう、そう思いながらも、どうでも良い、と疑問はすぐさま霧散した。
じっと見つめれば、彼は近付いた。止めを刺されるのだろうか。緩慢に思考すれば、その間に距離はもっと詰められていた。目前に迫った金色に、純粋に賞賛の気持ちが浮かぶ。ただ純粋に、その言葉が口から漏れた。
「きれい」
それに彼は怯えたように瞳を揺らす。その事に深く疑問は生まれず、言葉を重ねた。
「あなたにころされるならほんもうだよ」
 吐息のように彼の名を口にした。それが彼の名を呼ぶ最後だと思ったから。しかしその言葉に彼は動揺し、苦悩し、悲嘆した。その表情はあまり感じ取る事無く、細く吐息を漏らした。
彼を見ると心が安らぎ、安堵した。彼が居なくなると途端に不安に駆られ、意味も無く泣きたくなった。彼に裏切られた時、絶望した。自分の身体が、感情が凍りついたのを理解した。彼から嘲笑を浮かべられた瞬間、世界は色を失くし、崩壊した。
この感情は何と言うのだろう。うまい言葉が見当たらない。ぽたりと何かが顔に触れる。雨、と思い視線を上に向けた。そこには顔を歪め、涙を浮かべる彼が居た。その顔は見ているこちらが切なくなる。自分のせいで泣いているのだろうか。自分の為に泣いてくれるのだろうか。
あぁ、と泣き笑いの様に顔が歪んでいく。
これが誰かが好きだという気持ちなのか。否、と頭を振る。それでは足りない。恋しい、愛おしい。一番相応しい言葉を思いついた。それをそのまま伝えよう。
「あなたをあいしている」
素直な気持ち。それを晴れやかな気持ちで告げた。その気持ちを反映するように、晴れやかな笑顔で。
それに彼は驚愕し、後悔したように顔を歪め、ぽたり、とまた涙をこぼした。そろそろと手を差し伸べてきて、壊れ物を扱うようにその腕に抱き上げた。その仕草さえも苦痛のものであった筈なのに、もう痛みも感じることが出来ない。
自身の死がいちだんと近付いていることを悟りながら、薄く微笑んだ。彼の腕の中で死ねるのなら、悪くはない、と。
そこまで考えて、思考は散り散りとなり、視界は黒一色に塗りつぶされた。