知り合いと親友

領地の税収について頭を悩ませていたスイ。その姿は普段通りだ。ただいつもと違うのはその仕事量にある。朝から始めた仕事は減る事を知らず、むしろ増えている。
 何かおかしいと思いながらもスイは黙々と仕事をこなす。
それを見ながら父親は満足げに微かに頷いている。イヴは自分を構ってくれないスイに、それを作り出した元凶である父親を睨む。
 伯爵家の普段と違ってきていた。それもつい三ヶ月前のある事のせいである。
 スイに求婚した皇子は始めは冗談であったのに、本気で求婚してきた。それについてはスイは本気にしてはいない。
 自分が結婚相手に相応しくない、とは言わない。家柄的には可もなく不可もなく、といったあたり。
 しかし、自分でなくとも良いのだ。
 公爵家にも皇子と歳の近い姫は居る。少し歳が離れるが、イヴだって候補には挙げられる。それといった取り柄のないスイに求婚してくる事はあまり良い条件とは思えないのだ。
「私は平凡に領地で暮らせればそれで良かったのだけど」
 ふう、と小さく溜め息を漏らす。
 目の前には領地の雇用問題についての調書があった。
 何故か盗賊が横行し、仕事に支障をきたしている。それどころか、金品を盗られてしまい生活に支障が出て来ていた。
 それは見逃す事の出来ない案件でもある。
「お嬢様、宜しければ休憩をお取り下さい」
 小さな扉を叩く音の後、執事が入ってくる。手にはティーセット。その心遣いにスイは強張った顔付きを緩める。昼食も仕事を優先して軽くしか摂っていなかったのでその言葉は有り難いもので。
 いそいそと机の上を片付け始める。そのスイの姿に執事も口許を緩め、片付けを手伝う。
 その執事の手に握られた手紙にスイは目敏く気付いた。
「その手紙は何?」
 内心舌打ちをしながら執事は朗らかに笑いながらスイに問い返す。
「何の事でしょうかな?」
 有無を言わせない執事の笑顔にスイの顔も引き攣る。この古狸、と脳裏に掠める。
「私宛てでは無いの?」
「ほっほっ。まさか。これは焼捨てようと思っていた物ですよ」
 胡散臭い笑顔にスイは半眼でじとりと見つめる。この古狸は重要書類であっても都合が悪ければ隠すのだ。油断は出来ない。
「渡しなさい」
 掌を突き出し、早くしなさい、と見つめる。それを執事は笑顔で見つめ、手紙をスイの掌まで近付けた。そしてスイの手に渡す前にびりびりと手紙を細切れにする。
 まさかそんな暴挙に出るとは思っていなかったスイは呆気に取られる。
 ぽかんと口を開けて紙吹雪となった手紙の残骸を見ていた。
「な、な、な」
「後で侍女に部屋を綺麗にするように申し付けておきます」
 満足げに出て行った執事にスイは何も言えずに居た。絨毯に散らばる紙を寄せ集める。その時に嫌なモノを見付けた。
 それはつい最近見たある意味不幸の手紙と化したある書状に付いていた封蝋と同じもの。
「お、王家の封蝋……」
 それを知りながら破った執事は相当の強者だ。そして執事の独断でそんな事をするわけではない。それを思えば指示した人間は解ってしまう。
「父様、ね」
 盛大に息を吐き出し、立ち上がる。それと同時に扉が開き、侍女が箒を持って入って来た。手紙の残骸の処理を任せて、スイは部屋を後にする。向かうのは父親の書斎。
 書斎の前で執事とすれ違う。それにスイは一瞬不安を感じながら、書斎の扉を叩いた。
 父親はすぐに中へと促す。入った書斎では父親が手紙を広げ、残りの手紙を燃やそうとしていた。
「父様、何をなさっているんですか」
 スイは不安が的中したことに頭痛を覚えながら問い掛ける。それを予想していたように父親は答えた。
「仕事だ」
「……それ、私宛てではないのですか?」
「違う」
 言い切る辺りが怪しい、とスイは父親の手から素早く手紙を奪う。そこにはスイの数少ない友人から久しぶりに会いたいと書いてあった。
「………私の手紙ですね」
「あぁ。しかし今までの事を考えると会うのは得策ではない」
「それは私が判断することです」
 きっぱりと言い切る。父親の心配は解る。どこぞの皇太子が変な手紙を送ってきた為に迷惑を被ったのは忘れがたい物がある。
「王宮に来いと書いてあるのが気に食わん」
「職場であるのですからそれが妥当では?」
「あの男の考えに違いない」
「…………邪推にも程があります」
 父親の眉間の皺がすこぶる険しく、深い。しかしスイは怯むことなく、自分の意見を押し通す。
 険しい表情のまま父親は顔ごと視線を逸らした。心中は穏やかとは程遠いものの、スイは一度言い出したらその意志を曲げることは無い。
 仕方なく、スイを書斎から追い出す。それは了承したも同然だが、スイに嫌な顔をされてまで言い張るものでもなかった。
 盛大に溜め息を付いて、息子にスイを任せるために執事へ手紙を渡すように呼んだ。
 スイは手中の手紙を読み直す。早いうちに来ていたのか、明日王宮でお茶をしよう、というもの。
 王宮の兵舎に自室を貰っている友人は度々スイに手紙を寄越しては二人で話をするために王宮で会っていた。普段と変わりの無い文面に、皇太子は絡んではいない、と判断した。
友人に会えるということでスイは少しだけ気分が高揚していた。
 だからこそ指定場所がいつもと違うという不自然さに気が付かなかった。
 王宮のある一室。その人物は目の前の女性とにこやかに話をしていた。表情こそ穏やかだか、女性はいたく立腹している。
「殿下。こういう騙し討ちは私は嫌いです」
「君が嫌いであっても別に構わないんだよ」
「…………私の大切な親友をこんな卑怯な手を使う方に任せる事も嫌です」
 にこにことたいして堪えた風もなく皇太子は女性に応える。
「卑怯、と言うのは君にとってであって、僕にしてみれば立派な運命の再会だよ」
 そんな訳あるか、と暴言を吐きたい。しかし地位と身分が許さない。
 仕える一騎士と皇太子ではこちらに分が悪い。
 嫌な奴に気に入られて、と親友であるスイに同情する。それと同時に皇太子をせせら笑う。スイは見た目に騙される人間ではない。完全に相手の内面を見て心を開くか、を決める。信用されるまではどんな人間であろうと反応は薄い。あげく、結婚となれば慎重になるし、スイ大好きな兄妹達が、とんでもない妨害をしてくるはずだ。
 そこでふとあることに気付いた。
 たしかスイにはぼんやりと婚約者候補が一人居た筈だった、と。こっぴどく振られてしまえ、と敢えてそれは皇太子には言わない。
 目の前の紅茶の入ったカップを見つめ、考えに耽るあまり、気づくことに遅れてしまった。
「どうぞ」
 朗らかに応える皇太子。扉を叩いた音など彼女には解らなかった。急いで振り返れば、扉に立って驚きに眼を開くスイがいた。
「スイ」
 呼び掛けに反応し、スイはぎこちなく首を動かした。そこに居る親友に表情を緩めながらも、意図していない人物が居たことに動揺しているのが解った。
 皇太子が動くよりも前に立ち上がりスイに駆け寄る。スイの手を握れば緊張に指先が冷たくなっていた。
 それに顔をしかめるとスイは困ったように眉を下げる。
「ティファ」
 どういう事なのか、と不安げに自分の名を呼ぶスイに手に力をこめる。心配は無い、と伝える為に。
「大丈夫。変なのがいるけど、いつもみたいに話をしよう」
 ティファが笑いながら首を傾げ、それに応える様に、スイが小さく微笑む。
 そんな和やかな雰囲気を壊したのは、皇太子。
「変なの、て僕の事かな?」
「貴方の他に誰がいますか」
 冷たい視線をティファは皇太子に向ける。それをスイははらはらとしながら見守る。それを視界に入れながらも皇太子は悠然と笑う。スイしか見えていないかのように。
「スイ、三ヶ月振りだね。元気だったかい?」
「貴方の顔を見なければ元気です」
 これは手厳しいね、と笑う。しかし堪えた様子も見せないでスイに近付く。それにティファもスイも警戒する。
 なにせ皇太子はスイに不埒な事をした前科がある。近付くことも止めて欲しいところが本音だ。
「僕はスイの顔が見れなくて寂しかったよ」
「そうですか」
 鳥肌が立ちそうな台詞にスイは顔が引き攣るのを感じる。無表情に近いスイが表情を表すのはなかなか無い事態である。
と数歩という距離で皇太子は止まる。それはあまりにも警戒で固まるスイを見兼ねてのこと。
「毎日の様に手紙をスイに送ったのに、一度も返事がなくて悲しかったよ」
「……え?」
「仕方なくこんな方法を取ったんだ。許してくれる?」
 許す、許さないの前に聞き捨てならない言葉があった。
「殿下。手紙とは何の事ですか?」
 嫌な予感にスイの表情は強張っている。ティファはその様子に首を傾げた。手紙を知っていて無視をしたのではないか、と。
 皇太子を見遣ればやっぱりと言わんばかりの顔で肩を竦めていた。
「あぁ、やはりスイまで届いてなかったんだね」
「で、殿下」
「まぁ、予想の範囲内だよ。これぐらい」
 たいしたことないと言って皮肉げに笑う。それを見てスイはその笑いは皇太子に似合っていないとぼんやりと考える。やはりこの人には悪巧みしているような悪戯を仕出かしたような笑みが似合っていた。
 そして父親がしていた事に腹を立てた。子供のようなやり方に不満が出て来る。スイ宛ての手紙を勝手に捨て、友の手紙でさえ中を閲覧していた。
 やり過ぎだと感じる。それはティファも感じたようで、皇太子に対して態度を軟化させた。
「殿下、少しの間であれば私は外で控えておきますが?」
「今まで散々僕に何て言っていたか覚えているか?」
 冷ややかな眼差し。冷徹な皇太子としてティファに接している。それもそうだろう。ティファはスイに近付くな、と散々言ってきたのだ。
 三ヶ月前のスイに対しての皇太子の態度は最悪。気に入らなかった。遊びのようにスイに接しているのが見てとれたから。
 しかし、スイの前にいる皇太子は少しどこか違う気がしてきた。
「覚えています。その言葉を撤回する気もありません」
 皇太子へ配下の騎士としての態度。しかしこの言葉はスイの親友としての言葉だ。
「しかし、貴方の事を知らないままでスイがこの結婚を断るというのはいけない事だと思います」
 ティファの言葉に皇太子はおや、と眉を上げる。まさかの助けにどういう心境の変化か、と訝しむ。
 スイはティファに顔を向けるが、その表情は信じられないものを見たような顔だ。
 しかしその言葉に安堵しているのも確かだ。父親の暴挙を謝るなら、ティファがいない場の方がいい。
「ティファ」
「あの人が気に入らないのは紛れもない事実だけど、あの人のことを何も知らないまま嫌だ、は通用しないでしょ?」
「………」
 反論出来ない正論だ。気に入らない方法を取ったからと言って、それだけで相手を拒絶するのは間違っている。
 不承不承小さく頷く。
「解っているわ」
 つい拗ねた様に言ってしまったのは仕方が無い。それを穏やかに皇太子は眺める。気を許した相手に対してはスイは表情豊かだ。自分にも素直に色んな表情を見せて欲しい。
 しかしその為にはまず、警戒心を取り除く事。ティファを見れば視線があう。こちらを見ていた彼女は小さく頷いた。それに皇太子は手を挙げ応える。
「スイ」
 呼べば彼女は反応して振り返った。その顔には嫌悪も困惑もない。
 やっと始まりに立てた、と思う。いや、向き合った、と言うべきか。
「スイとの約束は五年。」
「えぇ。貴方は約束は破らない人だと伺っています」
「うん、まぁね。」
 誰が言っていたかは予想が付く。二人の兄に聞いたのだろう。
「で、五年もあるんだから気長に行こう」
「………私は結婚する気は無いと言っていますけど」
「まぁ、それを今判断するのは早いよ。なんせ五年もあるんだからね」
 にこり、と笑う。作らない、飾らない、心からの。
「だからまずはお友達、でどうかな」
「……皇太子が友達、ですか」
「そう。なんなら文通でもしてみる?」
 茶化して言いながらも笑顔の奥の瞳は真剣。だからこそスイも真剣に考え、答える。
「確かに、貴方を知らなければいけません」
 ふ、と小さく息を漏らし皇太子を見つめた。微笑み、スイは手を差し出した。
「よろしく。フロウ」
 その言葉に、スイが自分の名を呼んだことに皇太子は驚く。きっと呼ぶ事は無いと思っていたのにあっさりと呼んだ。
「何?その顔。友達になるなら敬称で呼ぶのは可笑しいでしょう?」
「あぁ。うん、うん。……そうだ、ね」
 じわじわと喜びが胸の奥から沸き上がって来る。嬉しい。スイに抱き着きたいぐらいに嬉しい。
 しかし抱き着けば、なけなしの信頼が吹き飛ぶ。皇太子はぐ、と我慢しスイが差し出した手を握った。
 柔らかい手を握り潰しかねない勢いで、スイも慌てていたが皇太子が手を離さなかった。
 皇太子が穏やかな気持ちになれる場所を得た瞬間。スイの皇太子に対する態度と、皇太子のスイの中での立ち位置の変化の時でもあった。