セナイダの黒い瞳

06

「セナイダ、お前の所の学部長が意見聞きたいんだと」
「なんの?」
「なんか、魔術師の色素がどうのとか」
 ラミロの言葉を最後まで聞かずにセナイダは自室に足を向けた。それに慌てるのは二人。
「ちょっ、セナイダ!」
 その声さえも無視して、セナイダは部屋に入って、外套を持って、数冊の書物も手にした。その様子にアファナシーも、顔を顰める。慌てるようなことだろうか。老成してきたならば魔力の減少に伴い、色素が薄れていくのは当然の事なのだ。
『セナイダ?』
「私が知っている限り、学長が色素を心配する魔術師は一人しかいないわ」
 それは誰だ、とアファナシーが問う前にセナイダは口を開いた。
「国王陛下が寵愛なさっている側妃」
『それ、僕達に関係有るの?』
「ある意味、ではね」
 虚空を睨むセナイダの表情は硬く、暗い。黒髪に顔を塞がれていても、アファナシーには良く見えていた。アファナシーはセナイダのその表情が理解できなかった。死は誰にでも訪れるものだ。魔力を有するものは魔力に寿命が左右されるが、死を免れることは出来ない。
「セナイダ!いきなり走り出してどうしたんだよ!」
 ぐい、と現実の力で腕を引き寄せられ、セナイダはたたらを踏む。斜め後ろから見える顔はラミロ。走れば直ぐに息が上がるセナイダとは違いラミロは息一つ乱れてはいない。不思議そうな顔でセナイダの顔を覗きこむ。心配そうな碧眼が視界を覆い、セナイダは心持ち後退する。
 アファナシーは不躾な距離に腹を立てる。いつもラミロの意図した至近距離を腹立たしく思っていたのだ。残念なことにセナイダはラミロの思惑も気持ちも理解してはいない。少しだけ距離感の近い人、という認識だ。
 今もセナイダはその距離に慣れきって、息を整えながら頭の中も整理する。いきなり飛び出し、妹は驚いたことだろう。ラミロも然り。よく驚きながらも追いかけてくれたものだ、と考える。
「ラミロ、ごめん。いきなり走り出して」
「や、それは構わないんだ」
 少しだけラミロはほっとする。彼の幼馴染は時々行動力に溢れている。理由も話さずに飛び出すことは昔からよくあった。慌てて付いて行けば、高名な学者の許へ行っていたり、裏通りの古書店へ行っていたり。突拍子も無いのだ。
 どこか空を見つめながら一人で会話をしている姿も度々眼にしている。その時の彼女はどこか遠い世界を見つめているようでラミロはいつも不安に駆られる。
もしこのまま彼女が自分の手の届かない遠いところへと行ってしまったら、と。その不安は的中しようとしていた。大学院へ通っているのも不安のひとつだ。こうして彼女はラミロの良くわからない事で呼び出されている。
「なんで学長に呼ばれたんだ?」
「……ラミロ。年齢不詳の灰色の美女、知ってる?」
「………噂なら。」
 話が早くて助かる、とセナイダは呟く。アファナシーにはまだ話が読めない。その灰色の美女がアファナシーとどう関係があるのか。セナイダは重要なことをまだ言ってはいない。
「その美女。五百年前から生きてるって噂は?」
「知らね。なんだその化け物」
「すごく力の強い………呪術師」
 その言葉にアファナシーはセナイダの言いたいことが理解できた。魔力の強い人間も、寿命は普通の人間に比べて、桁違いに長い。しかし、五百年も生きることは難しいだろう。
 そこでセナイダはある仮定を立てた。アファナシーを封じ込めたと言う呪術師はどうなったのか、と。人を呪う事が出来たのだ。他の能力も有ったのではないか。そして五百年目にして綻びが生じた呪術。力が弱まった、つまり呪術師が死んだ、という事。もしくはそれに相当することが起こった、という事だ。
 呪術は魔力を喰らう、という。そのとおりならば呪術師の寿命は短いのだろう。歴史の表舞台に出てこないだけで、実は生きているのかもしれないし、時の国王に殺されたのかもしれない。しかし、一つの事実が存在している。
 アファナシーは五百年間、呪術どおりに『人として転生』していた。それが今になって破綻してきている、という事だ。それは呪術の翳りが関係しているのだ。
 セナイダは膨大な王立図書館でその資料を漁っていた。そしてたどり着いたのが、一人の呪術師。灰色の髪に紫の瞳の魔術師。この世の者とは思えないほどの美しい魔術師は、いつの時代にも現れた。そして、国王が庇護してきたのだ。
『冗談じゃない。生きてるって言うの?』
 まるで化け物じゃない、とアファナシーは呟く。それに内心同意しながらセナイダはラミロに告げた。